かきあげブログ

就職活動を通して考えたことをただダラダラと書いています。お許しください。

2018年09月


『Canon』目次

            

 

 ユーはユーマとともに下山した。彼女は足取りが軽く、ついていくのがやっとだった。

「ユー。しっかりついてこないとダメよ。この後、雨が降るみたいだから」僕は必死に彼女のあとをついていった。結構なペースだ。

 にもかかわらず、彼女は『Canon』を口ずさんでいる。それほど大きな音ではないのに、その歌声はやまびことなって反響しているような気がする。右の山から、左の山から、彼女の透き通るような声が聞こえてくる。山々が合唱しているみたいだ。僕は正面に向き直る。ユーマはペースを落とさない。彼女の美しい歌声が、いつまでも、いつまでも、響き渡る。

 


 山道で老夫婦に出会う。「偉いわねえ。一人で」とお婆さんが言う。一人で?

僕は焦って前方を見る。ユーマはいない。僕は混乱して尋ねる。「あの、今聞こえている歌……」言いかけて、彼は気づく。歌なんて聞こえていない。いや、そんなもの、最初からなかったんじゃないか。

 老夫婦はきょとんとしている。「そうだ。ぜひこれを食べるといいよ。僕の家で作ったんだ」おじいさんが僕に梅干しをくれる。でも、僕は、走り出していた。ユーマは、ユーマは……。

やがてパパが僕を迎えに来る。彼は世界を呑み込みそうな笑顔と、闘牛ともやりあえそうな厚い胸板で僕を迎えに来る。しかし、彼は今朝の彼とは違った。明らかに、そこには何かが欠落していた。

 


 ママは帰ってこなかった。親戚の人たちには遭難して死んだ、と言われた。


 その物語の中では、ユーは家族を失った。やはり、栗栖先生の家に住むことになった。高校を卒業すると、彼は自分の意志で作家になった。

 




 


 ユーは泣きわめいてその紙を暖炉に放り込んだ。シックザールは彼に詫びた。すまんな。でも私には、これしか書けなかった。

 


そう、これは物語!現実にはユーマは死んでいなかったのだ。そうさ!そのとき、暖炉からこんな声が聞こえてきた。

 



 嘘は嘘を呼び、それは波及的に、指数関数的に増殖していく。どこかで断ち切らなければ、それはやがて「本当の自分」を喰い殺す。

 

 

 

 

 暖炉のあるあの家で、シックザールは執筆をしている手を止めた。やれやれ、またこんなものを書いてしまった。燃やしてしまおうか。彼は暖炉に向かった。メラメラと燃え盛る炎の中に、彼は二人の影を見た。その瞬間、彼は涙した。

 


 だからあなたは生き抜いて。あなたの人生を生き抜いて。この先に、どんなにつらいことがあっても、どんなに悲しい思いをしたとしてもよ。お父さんのような、カッコいい人になって。私たちはいつだって、いつだって、そばにいるんだから。寂しくなったり、苦しくなったりしたら、火を見てちょうだい。私たちは、あなたが望んだ時にそこに現れるから。

 


 炎の中で見守っている。いつか、そんなこと言ってたっけ。両親はその中で、微笑んでいた。彼は原稿用紙を彼らに渡した。彼らはそれ受け取り、ゆっくりとそれを咀嚼した。そのストーリーは灰となり、彼は現実に戻った。

 


 ふう。彼はゆっくりと息を吐いた。この先、ここに来る人々にどんな物語を届ければいいのだろう。どんな物語が、人々を幸福にし得るのだろう。作家になって数十年たった今でさえ、その答えは見つからなかった。


 

ところで、私が誰かって?

 

 

ペンネームはシックザール(運命)。本名はユー。幼少期に両親を亡くした、不憫な作家さ。

 

 

Canon』(完)




最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました!




目次『Canon』




『Canon』目次

 
 

 ある日、栗栖先生は放課後に仕事があると言った。申し訳ないんだけど、その間、学校で待機していてほしい。栗栖先生は手刀を切るようにして謝った。もちろん僕はうなずいた。



 さて、栗栖先生が仕事を終えるまでの間、どうしようか。僕はなかなか決めることができなかった。学校の中で遊んだ場所が、ほとんどなかったからだ。教室は閉められてしまうらしく、僕はやむなく中庭を使うことにした。昼休み、クラスメートたちがドッジボールで盛り上がっているあそこだ。僕は中庭に出ると、地面に敷き詰められた橙色と茶色のタイルの組み合わせをボーっと眺めていた。景色をこのようにじっくりと眺めたのはいつぶりだろう、と僕は思った。

 



 意識が遠のいてきた。どこかで『
Canon』が流れ始めた。

 



 ユー、あれが見えるかしら、きれいなみずうみ!ママ、あんなきれいに反射するみずうみ見たの初めてよ。ユー、あなたはきれいな景色見つけた?


 あれ!ユーが指を指した先にあったのは、猛々しい山々!ではなく、四方八方に無限に広がる雲海!でもなく、一つの山小屋だった。茶色のレンガをまとい、橙色の屋根をした山小屋だった。

 



 あら、あれなの?ユーマは楽しそうに言った。そして、行ってみましょう、と声を弾ませた。僕はうなずいた。

 


 小屋までの道のりは、たいして険しいものではなかった。比較的平坦な道のりで、足場もしっかりしていた。それでも、ユーの呼吸は、小屋に近づくにつれて荒くなっていった。ユーマはそれに気が付きはしたものの、特に気には留めなかった。家に入ると、カランカラン、と小気味よい音が鳴った。山小屋の管理人・シックザールが出迎えてくれた。私は管理人であるとともに作家でもある、と彼は言った。

 

 そこから先のことはあまり覚えていない。たしか、彼に頼んで簡単な物語を書いてもらったっけ。そうだ。あのとき僕が読んだ物語は……。

 

「君、名前は?」シックザールは静かに尋ねた。

「ユー」

「ユーか。いい名だ」彼はやはり静かに言った。

「君のために物語を書こう」

そしてペンを動かし始めた。目を閉じて、時折眉間にしわを寄せながら、書き連ねていった。ユーは口を閉じて、ジッとその様子を眺めていた。見惚れていた、という方が正しいかもしれない。彼は一心不乱に執筆をつづけた。だんだん顔が難しくなってくる。20分程たって、彼は手をピタリと止めた。そして彼は怪訝な顔をした。やれやれ、とんでもないものができたぞ……



 

 シックザールは暖炉に向かった。この紙はこの子に見せてはならない。なんとしても燃やさなくては。この子には、代わりに私のお気に入りの明るい話を見せてあげれば、きっと許してくれるだろう。うっ。



 ユーが、シックザールのズボンを強く握っていた。シックザールが思わずよろけるほど、強く。

「おじさん見してよ」彼の真紅の瞳はこちらに有無を言わさぬ。やむなくシックザールは彼にその紙をそっと渡した。






The Final Page “火を見て” 『Canon』





『Canon』目次

 

栗栖先生と一緒に住んでいることは、僕以外の子供には知らせないことになっていた。しかし、物事はそううまくはいかない。親しい友達は父親を失った僕に同情した。そして今、どんな生活をしているかを知りたがった。

 
 僕ははじめのうちは隠しておこうと思って、親戚のうちに行っている、と言った。そしたら事はもっと面倒になった。周りの子たちはみんなその親戚は優しくしてくれるかだとか、実の子供との差別はないかだとか、根掘り葉掘り聞いてきた。僕の会話の半分が、その話題にのみこまれてしまった。


 僕には彼らの発言が、心から心配してくれてのことなのか、単純に両親が死んだらどうなるか興味があるのか、分からなくなってしまった。多分、中間くらいだろう。やれやれ。いったん嘘をついてしまうと、それを埋め合わせるために何度も嘘をつかなくてはならなくなることは、最初から分かっていたことなのに。
 

 嘘は嘘を呼び、それは波及的に、指数関数的に増殖していく。どこかで断ち切らなければ、それはやがて「本当の自分」を喰い殺すだろう。

 



 僕は仕方なく栗栖先生の家に引き取ってもらったことを正直に話した。もちろん栗栖先生に相談して。友達は最初、僕が嘘をついていたことに腹を立てていたものの、僕がきちんと謝るとすぐに許してくれた。そしていうまでもなく、栗栖先生の家について興味を示した。

 

「なあ、栗栖先生が結婚しているって本当?」親友のポーが言った。

「結婚しているかどうかは分からないけど、少なくとも女性と一緒に住んでいるよ。」

「おお。どんな人?どんな人?」周りもはやしたてる。

「栗栖先生にそっくりな人……」と言いかけて、やめた。もう嘘はつかない。


「上品で、本当に素敵な人だよ。」これは嘘ではなかった。彼女が僕の前で下品とも言える振る舞いをするのは理由がある、と僕には思っていた。一つは僕の緊張を解くため、そしてもう一つは、両親を失った僕を笑顔にするためだ。

 実際、彼女は下品な演技をしている間も、その奥にある「何か」を隠しきれていなかった。それは時によって、気配りだったり、清潔さだったり、栗栖先生がジョークを言ったときの微笑だったりした。そう、よくも悪くも、その人のありのままの姿を完全に隠す通すことなど、やはりできないものなのだろう。

 

 栗栖先生の家で過ごす日々は本当に楽しかった。彼らは忙しいながらに、必ず3人で過ごす時間を取ってくれた。僕たちは団らんをし、一緒にゲームをした。テレビゲームではなく、道具を使わずにできる古風なゲームをした。




Page7 “山小屋への客” 『Canon』




『Canon』目次

 

 気が付くとユーの周りには、救急隊員と警察官がそれぞれ2人ずついた。栗栖先生が靴のまま部屋に飛び込んできて、僕を強く抱きしめた。

「辛かったろう。辛かったろう」先生は涙を流しながら言った。僕はもう、泣かなかった。





 僕を引き取ってくれる親戚はいなかった。そしてなんと、担任の栗栖先生が、僕を引き取ることになった。栗栖先生は奥さんと二人で暮らしだった。まだ、十分新婚と呼べるアツアツのカップルだ。僕がそこに入っていいのだろうか。僕は子供心にそんなことを思った。一日お邪魔するくらいなら、別にここまで気をもむ必要もない。でも、そこに住まわせてもらうとなれば話は別だ。全然べつだ。彼らの人生を大きく変えてしまうことになるかもしれない。もちろん悪い方に……。




 僕は児童養護施設に通おうと思っている。そう栗栖先生に切り出した。栗栖先生は口をぽかんと開けて僕を見た。英語の授業で誰かが「
often」を「お、おふとん」と読んだ時にしていた顔だった。栗栖先生は「理由は?」と僕に尋ねた。僕は何も言えなかった。栗栖先生は僕の肩を抱いた。

「おいおい、ユーー。遠慮すんなよお。栗栖先生はなあ、ユーが来てくれるとすっごいうれしいんだよおお。それはもうすっごいなあ。本当だぜえ」

 この人を見ているといつも、「素面か?」と思わされる。話し始まると動作まで酔っ払いのようになるから不思議だ。

「でも、先生の奥さんもいるし……」僕は正直に言った。先生は一瞬、きょとんと阿保みたいな顔をした。

「心配スンナヨ~。ここだけの話なあ、俺のオクサンはなあ、俺とそっくりなんだぜ。」

栗栖先生はバックをガサゴソと探り、写真を取り出して、僕に見せた」

 

あっ。

 
 栗栖先生が二人……と思ってしまうほど、彼らは瓜二つだった。黒縁の眼鏡、四角い顔、青い瞳、がっちりとした体格——。プッ。僕は吹きだしてしまった。

「お、おい。ユー。失礼だぞお」そう言いながら、先生も口を大きく開けて、ワッハッハと笑った。

 
 
 でも、実際に先生の家に着いたとき、僕は息を呑んだ。ハッとするくらい美しい女性が、そこにいたからだ。あの写真は、どうやら合成写真だったらしい。栗栖先生が二人映っていただけなのだ。

 やられた。瓜二つどころか、月とスッポン、いや、太陽とミルワームくらい違うのではないか(栗栖先生だって結構イケメンではあるけれど、ぼくはそう感じてしまった)。栗栖先生を睨むと、彼は舌を出してウインクした。授業中、スペルミスを指摘されたときにやる奥義「テヘペロ」である。目の前にいる女性は、こちらが平静を保つことを許さないような、近くにいるだけで緊張してしまうタイプの美人だった。美しすぎて損をしてしまうタイプの美人、と言えるかもしれない。しかし、その緊張は、すぐに弛緩することになる——。




 

 彼女は開口一番にこう言った。



「よっ、よっ、ヨオロオシクウ!よっよっヨオロシクウ‼」



彼女は僕の人生史上、最も滑稽なポーズをとりながら挨拶をしてきたのだった。その様子はまさにミルワームだった。

 


なんか……彼女が栗栖先生と気が合うの、……わかる気がする。


 彼女のこの性向は初対面でのみ顔を見せるタイプのものではなかった。彼女は僕が見ているとき、常に変顔をしていた。本当にずうっとだ。やがて本来の美しい顔がこの変顔に収束していってしまうんじゃないかと思うくらい。僕はコロコロと変化し続けるその変顔に、笑いをこらえるので必死だった(ときどき彼女の顔を見るだけで噴き出してしまった)。この女性はいつもこんな感じなのだろうか、と一度は真剣に栗栖先生に同情したほどだ。


 
 でも、僕が朝、たまたま早く起きて彼女が朝食を作っているのを見るとき、ハッとさせられるのだ。上品で可憐なその横顔に。小学生2年生の僕でさえときめいてしまうような。

 やがて彼女が僕に気が付く。すると彼女はやはり……


「おっ、おっ、オウハヨウ!」ボックスステップをしながら脇を開け閉めしている。とがらせた唇もそこに添えて。やれやれ。僕のつかの間のときめきを、返してくれないかな。





Page6 “嘘は増殖する。指数関数のように” 『Canon』




『Canon』目次

 ママは声をより一層穏やかにして、ささやいた。深みのある声だ。

「ママは3年前、山で行方不明になっていたあなたを探しに行って、大きなケガをしてしまったの。すぐには死ななかったけれど、流血がひどくてね。でもね、私、死ぬ前は死ぬほど幸福だったのよ。変な言い方だけど、死因は幸福死ってとこかしら。パパがね、私が死ぬ直前にきてくれたから。ユーが見つかったぞ。だから死なないでくれって、意識が朦朧としている私に何度も語りかけてくれた。私をおぶって必死に山を駆け下りていく姿は、私が今までに見たどんなものよりもかっこよかったわね。美しかった。私はそのとき、思ってしまったの。この人になら、あなたを任せられるって。」

  

 彼女は死に際を思い出していた。彼女は山道を必死に探し回っている際、山道の端から転げ落ちてしまった。勢いよく転がって木々が全身に刺さって血だらけになり、大きな岩に頭をぶつけたところで、ようやく止まった。彼女は全身を打ち、体を動かせないでいた。声も出ない。さらに悪いことに、そこからは山道が見えなかった。つまり、山道からも彼女の姿が見えないということだ。ため息すら出ない。彼女は死を覚悟し、静かにユーの無事を祈っていた。




 すると、あろうことか、ユーの父親、ユーパが目の前からやってくるではないか。最寄り駅の場所さえ覚えられずに、おどけていた方向音痴の彼が、特段鋭くもない勘の持ち主だった彼が、彼女のもとにやってきたのだ。

 彼女が笑いかけると、彼は0・1秒だけ微笑んだ。「安心しろ、大丈夫だからな」その微笑みはそう語っていた。そしてすぐに真剣な顔に戻る。彼は彼女に語りかけた。

「ユーは、無事だった。ユーマ、君が死んでどうする。ユーが待ってるぞ。ユーがまた優しく笑う顔が見たいだろう?」彼は自信の困惑を全く見せることなく、ユーマを励ました。


 

 彼は彼女を背負って走り出した。彼はただひたすら「大丈夫だ、ユーが待ってるからな」この科白だけを繰り返した。私は全身の傷口から血の代わりに涙が出てくるんじゃないか、と思った。彼の背中を眺めているだけで、私は自然に意識を保ち続けることができた。

 

しかし、私が生きて帰るには、距離がありすぎた。彼の背中はだんだん赤く染まっていく。私は「ごめんなさい、もうダメみたい」と言った。彼はそれ以上、私を励まそうとはしなかった。きっと彼も最初からわかっていたのだろう。

 彼は私に落胆した様子も見せなかった。ただ、背中だけは嘘をつけなかった。彼の背中は私の目の前で音を立ててバラバラと崩壊していった。

 

彼は私をそっと岩の上におろし、私たちは長い長いキスをした。そこには深い愛情はもちろん、彼の決意、誓いが込められていた。私も精一杯それに応えた。それは……おそらく数十秒だったけれど、私には永遠に感じられた。私はそこで、こと切れた。

 

私の人生で、最も幸福な時間だった。死ぬ時が最も幸せなんて、ホント、私って幸せ者よね。

 

 

 

 

 

「マ……マ?」

「あなたのお父さんがもう少し頼りない人だったら、私はあのとき死ななかったかもしれないわね。パパは今日、亡くなってしまったけれど、あなたが生きていく上で一番大切なことを、あなたにと教えてくれたはずよ。」

 

 僕はお父さんとの生活を思い出していた。浮かんできたのは彼のくだらないダジャレの数々。しかし、彼は、僕の前で後ろ向きなことを一切口にしなかった。

 

ママは息継ぎをして、言った。

「だからあなたは生き抜いて。あなたの人生を生き抜いて。この先に、どんなにつらいことがあっても、どんなに悲しい思いをしたとしてもよ。お父さんのような、カッコいい人になって。私たちはいつだって、いつだって、そばにいるんだから」

そして彼女はこう付け加えた。

寂しくなったり、苦しくなったりしたら、火を見てちょうだい。私たちは、あなたが望んだ時にそこに現れるから。


 ユーは深くうなずいた。僕はパパとママを失ったんじゃない。

パパとママにいつでも会えるようになったんだ。




次回
Page5 “栗栖夫婦” 『Canon』


 



『Canon』目次


僕は電話を切ってしまった。

すぐに119番を押し、住所を言った。頭の中が混乱して何も考えられなかった。でも体は勝手に動く。僕はパパの書斎に行き、彼の顔に触れた。その刹那、僕の前に再び先ほどの夢の光景が浮かんできた。美しい『canon』の音色とともに。

 



 

「ねえ、あなた。ユーを置いてきてしまったの?」

パパの顔が青くなった。

「俺は、君にどうしても会いたいあまり、ユーを置いてきてしまった。君と、あの日交わした約束を、俺はとうとう守れなかった」

「ねえ、自分を責めないで。あなたのおかげで、あの子がどれほど強くなれたか分からない。あなたは、本当に、本当に……本当に頑張ってくれたわ」

 透き通るような声で、彼女は言った。


 

パパは号泣していた。お母さんのお葬式の時でさえ、びっくりするくらい忽然としていたのに。彼は目を真っ赤にして、自分を恥じているようだった。

「ユー?」

僕はハッとした。僕は彼らの様子を俯瞰しているのだと思ったが、実際にそこにいたのだ。

「ママ?」

「ユー、ユーなの?」

「僕だよ。ママ……」

その時、常に落ち着きはらっていたその女性は、初めて大きくたじろいだ。

「ごめんな。ユー。ごめんな。パパは、お前を護らなければならなかったのに」

 今まで生きてきた中で最も悲しそうな顔を、ユーは見た。もっとも、その相手はもう生きていないのだけれど。

 

一瞬、意識が薄れ、気が付くと僕たち3人はすぐそばにいた。ママは僕たち二人を包み込むように抱きかかえた。そのとき僕はフシギな感覚を覚えた。

 

僕は、彼女の子宮の中にいた。そこは、いままでに行ったどんな場所よりも、暖かくて、ホッとできる場所だった。人が生きていくために必要な安心の総量が、そこにはあるみたいに感じられた。遠くから、『canon』とともに、お母さんの声が聞こえてくる。

 

「ユー。あなたはこれ以上ここにいてはいけないわ。あなたは、あなたの世界に戻るのよ」

「いやだ。いやだよ、ママ……」

ママの前でこんな弱気な発言をしたくはなかった。だってパパがこんなにも強く育ててくれたのだから。でも僕の本能は嘘をつけない。

「ママがどうして死んじゃったのか、せめてその時のことを教えてよ……」

 

 しばらく間があった。ユーマ(ユーのママ)の困惑が伝わってくる。

 

 僕が真剣に彼女を見つめると、やがて彼女はあきらめたようにため息をついた。

 

「いいわ。でも、約束してほしいことがある」

 



次回
Page4 “ユーマの死に際” 『Canon』 



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