かきあげブログ

就職活動を通して考えたことをただダラダラと書いています。お許しください。

2018年09月


目次『ペットショップで君に逢う』



「お前、顔色悪いぞ」ヨウの家に着くと、彼はドアを開けたまま驚き、そう言った。

「とりあえず……入れてくれ」

「ああ、悪い悪い」僕の両手が買い物カバンでふさがっているのを見て、ヨウは苦笑いした。

僕は一辺1メートルほどの正方形の机をはさみ、向かい合うようにして座った。

「厄介な猫がいてね」僕は切り出した。

「倒れている自転車を起こしたら、急に俺になついてしまって——俺が動物に好かれるのは後にも先にも多分これっきりだぜ——最初はかわいいと思ってたんだけどな……その猫、階段上って俺の部屋の209号室の前までついてくるんだぜ。それだけじゃない。俺が別れを告げてドアを閉めたらだな……急に虎の咆哮みたいな鳴き声を出すんだ。ぎゃああああああってな。お前んちに来るのも一苦労だったよ」ヨウは終始真顔だった。

「ホント……もう2度と倒れてる自転車なんて起こすものかって思った」僕はオチをつけてみた。真顔だった。僕も真顔になった。3秒間真顔で見つめあった後、ヨウがプッと吹きだした。

「はっはっはっは!」「そりゃ災難だったな」

僕がホッとすると、ヨウは今度は真顔というより、真剣なという形容が適した顔になった。

「でもお前のその蒼白な顔の原因はそれではない」ヨウは低い声で言った。そして僕の目をじっと見た。そうかもしれない、と僕は言った。しかし、それ以上僕が何も話し始めないのを見て、ヨウは神妙な顔を緩め、「ともかくハンバーグ作るか!」と言った。そして直径100メートルの人々全員を安心させるような陽気な笑みを浮かべた。


 
 ヨウについて少し語ろうと思う。僕たちは大学1年の10月に出会った。確か統計学の授業を受けていた時のことだ。授業が終わるとほかの学生たちは急いで学食に向かったが、ちょうどその日の授業の内容にのめりこんでしまった僕は席に座ったまま教科書を熱心に読み続けていた。完全なる忘我。もっとも幸福な時間だ。僕がわれに返ったとき教室にいたのは僕とヨウ、それに教授だけだった。ヨウは同じことを何度も教授に質問していたが、どうも納得がいかないという表情を浮かべていた。人はよさそうだが頭の回転はさほど速くないらしい、というのが、僕のヨウに対する第一印象だった。

 僕は静かに本を閉じると、耳をそばだてて彼の質問をくみ取ろうとした。そしてどうやら、問題は教授の方にある、と悟った。僕は立ち上がり、彼の方へ向かった。断っておきたいのだが、僕はお人よしではない。重い荷物を運べずにいる老人はこれまで何度となく見てきたが、手伝ってやったことは無い。電車で席を譲ったこともない。というか、電車では座らない。しかし僕は、その時自然に——ほとんど反射的に——彼に声をかけていたのだった。彼には人を引き付ける磁石のような力があった。「そこは片側検定を使うんだよ。君は両側検定をしてしまっている。」僕はそれだけ言ってやった。彼は驚いたように僕を見た。その時の様子を今でもはっきりと覚えている。彼は僕の顔を見るだけではなく、僕の瞳の中にあるものを見ているような気がした。僕も無意識のうちに彼の眼を覗き込んだ。彼の眼にははっきりと僕の姿が映っており、さらにその僕の眼の中には彼の姿があるように見えた。ロシアの人形みたいだ、と僕は思った。

 僕と彼はその後、一緒に昼食をとった。僕が大学生活で、友人と昼食をとるのは後にも先にもこの一度だけだった。単独行動を好んだからだ。その傾向は彼にもあるみたいだった。僕たちは単独行動の良さについてひとしきり語り合った後、いま単独行動していない自分たちを俯瞰し、笑いあった。


第五話 “阿修羅” 『ペットショップで君に逢う』




 目次『ペットショップで君に逢う』


 僕は陳腐で退屈な授業を終えると、一度自宅に戻った。15時だった。ヨウの家に行くまでにはまだしばらく時間がある。アパートの駐輪場に自転車を止めると自転車が一台、ほかの自転車たちに虐げられる様に倒れていることに気が付いた。僕は人を気の毒に思うことは少ないのだが、倒れている自転車はほおっておけない。僕はその自転車をすっと起こし二度と倒れないように端のポールにもたれかけさせた。その時だった。

「にゃああ——にゃあああ」足元に猫がいた。すらりとした三毛猫で首輪をつけている。猫は僕の穿いているジーンズにその頬をこすりつけながら「にゃあぁぁぁぁ」と鈍い音を立てて啼いた。僕は、なんというか、本当に驚いてしまった。僕は猫に好かれたことなど一度もなかったからだ。

 次に猫は僕のボロボロになった銀色の自転車の後輪の雨よけに頬を摺り寄せながらその鳴き声をより一層鈍くさせていた。やれやれ。僕はまんざらでもない笑みを浮かべ二階にある自室に向かおうとした。すると猫もついてくるではないか。僕は自分の部屋の前で立ち往生してしまった。マタタビでも着いたのだろうか。僕はもう少し彼(彼女)と戯れていたい気分だったが、ヨウとの約束もあったので猫に別れを告げサッとドアを閉めて自宅に入った。ホッと息をついた。しかしそれもつかの間だった。「ぎゃあああああああ」外でものすごい声がした。僕ははじめそれが猫によって発せられた声だとさえわからなかった。猫は絶え間なく叫び続る。「ぎゃああああああああ、ぎゃあああああああ」まるで行方不明になった子供を探す母親のように。必死だった。

 僕は今、何をやっても集中できないことが直感的にわかったので16時30分にアラームをセットしベッドにもぐりこんだ。

 

「この猫かわいいわね」ペットショップで一つのかごを指しながら彼女は言った。僕はその猫を見ると鳥肌が立った。さっきの三毛猫がいたからだ。僕はこの場所を去ろう、と彼女に提案した。彼女は何も言わなかったが、僕の眼を見てこくりと頷いた。「君、名前は何というんだい?」夢の中で何とか主導権を獲得した僕は彼女に尋ねると、彼女は何か口元を動かした気がした。けれど僕がそれを認識することは無かった。僕は彼女の頬を両手で優しく包み顔を覗き込んだ。彼女の顔は近くで見てもなぜかぼんやりしていた。僕は絶望的な寂寥に襲われ、絶句してしまった。彼女もあえてその沈黙を破ろうとはしなかった。どこからともなく聞きなれたメロディーが聞こえてきて、その沈黙を射抜いた。

 

ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。ドン、ぴたっ。

16時半だった。

 

 猫の声は止んでいた。僕はベッドから起き上がると少しよろけながらドアの方に歩いていき、ドアスコープを覗き込んだ。そこに移っていたのはいつものようにゆがんだ廊下と手すりだけだった。僕は左手で歯を磨き、右手でTシャツとジーパンを脱いだ。そして右手に歯ブラシを持ち替えると、今度は左手で肌シャツと黒いシャツを着て、チノパンを穿いた。いつもの癖だ。そしてMの家に向かった。 

 僕は4つ入りの卵と玉ねぎとひき肉を買う。パン粉はこの前使ったものがまだ余っているはずだ。食材を買っていくのはいつも僕の役目だ、はあ。


第四話 “ヨウについて少し語ろうと思う” 『ペットショップで君に逢う』




目次『ペットショップで君に逢う』




6月6日 ~うつつ~

 

 目が覚めた。どうやら僕はこちらの世界でも叫び声をあげていたらしい。僕はその声で目が覚めた。目覚まし時計みたいだな。と僕は思う。便利な目覚まし時計だこと。コスト0、効果保証。

 いや、と僕は気が付く。このアパートだ。身もふたもないことを言うと、防音性は極めて悪い。ここの壁は原稿用紙3枚分くらいなのではなかろうか。今の声がほかの部屋の迷惑になっていないか心配する。しかし、その心配はすぐに別の気持ちにとってかわられることになる。


「またか」先ほどの夢についてだ。


僕はあの夢を小学生の時頻繁に見た。だからあの夢に登場した僕もやっぱり小学生の時の僕だった……気がする。小学一年生の時、親の都合で引っ越してから、やたらとみる夢だった。起きた時は例外なく暗い気持ちになったのをおぼえている。しかしなぜ今になって……僕は今、大学2年生だ。

 

 僕は一度思索を中断し、スーパーマーケットで買ってきたミネラルウォーターをコップにナミナミと入れ、それを一口で飲み干した。今日は大学に行かなければならない。ちっ、いやになるな。僕は最近大学に行くのが億劫で億劫で仕方がなかった。大学で経営学を専攻していたが、最近経営というものにまったく興味がわかなくなっていたのだ。

 

 大学に着くと僕はいつものように真ん中の最前列の席に座った。そしてドストエフスキーの『罪と罰」を開いた。


罪と罰〈上〉 (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
1987-06-09




 もう何度目になるか分からないが、何度読んでも面白かった。独特のリズム感を帯びており、読むたびに新しい刺激をくれた。初めて読んだ時の衝撃は忘れられない。心理描写をこんなに複雑に、そして残酷に書くやつがいるとは。



 登場人物の「へ、へ、へ!」という気の狂ったような笑い方も好きだった。もっともこれはドストエフスキーというよりは翻訳者の工藤精一郎さんの工夫によるものかもしれないが。


「よう。何読んでる?」ヨウだった。

ドストエフスキーの『罪と罰』だ。何度読んでも面白い」

ドストエフスキーって、お前、文学部に行った方がよかったんじゃないか?」

「そうかもしれない」

「実のところ、最近経営学に興味が持てないんだ」

「そうなのか?」

「どうしても俺は経営をする側に回れる気がしないし、第一なりたいとも思えないんだ」

 ヨウはしばらく僕のはなしに共感してくれた。そして、「でも経営者にならないとしても━━たとえ会社に勤めさえしないとしても━━経営学の考え方を知っていることには大きな意味があると思うぞ」と言った。

 それからヨウは経営学がいかに役立つかを僕に伝えるために、SWOT分析やPDCAサイクルの考え方を説明した。丁寧だけど、熱く。僕は序盤はやれやれといった態度で聞いていたものの、やがて彼の熱量におされて、たしかに役にたつかもな、と言った。



 僕の返答に満足したヨウは、「なあ、今日ハンバーグでも作らないか」と誘ってきたので、「17時にお前の家に行く」とだけ返した。ヨウは右側の最前列の方へいった。

 僕たちは一緒に授業を受けない。その方がお互いにとってプラスだと考えているからだ。大人数で集まって授業を受けるなんて馬鹿げている。そんなのは群れていないと不安で仕方がない弱いやつのすることだ。


 授業中は昨日読んだビジネス書について考えを巡らせていた。

「失敗とは何だろう。人間が失敗するということは、チャレンジしているということだ。そしてチャレンジした結果としての失敗は、本質的には失敗ではない。財産だ。資産だ。それは血となり肉となって体の中に残り続け、次チャレンジするときに必ず助けになってくれる。それに、はたして成功する必要が本当にあるのだろうか。もし、失敗し続けて、し続けて、そのまま死んでいったとしても、挑み続けたのなら誇りをもって死を迎えられるのではないか。例え一回も成功しなかったとしても。挑戦し続けたと胸を張って言えるのならば、それで御の字だ」

 本で読んだことについて考えを巡らせることは、彼にとって至福だった。かくいう彼はとくにこれといったチャレンジをしていなかったにもかかわらず。



第三話 “善行は、猫にではなく、神様に見てもらいたいものだ” 『ペットショップで君に逢う』


 
目次『ペットショップで君に逢う』


 この物語は20××年6月6日に始まり6月8日に終わる。もとより日付などというものは、特に意味を持たない。なぜならこれは、全部夢かもしれないのだから。

 

6月6日  ~夢~

 

 僕たちはペットショップにいた。僕の隣にはまるで遊園地に初めてきた子供のように笑う彼女がいる。いや、彼女──彼女というのとは違うのかもしれない。僕たちはペットショップの二階に上がって行きサルやニワトリなどを眺めている。でも僕が……僕が、本当に見たいのは、そんなものじゃないんだ……。

 

 彼女には顔がない。もっと正確にいうのであれば僕は彼女の顔をはっきりと認識できない。その顔に輪郭はない。雰囲気で愉しそうに笑ってくれていることはわかる。けれど、彼女の顔の周りだけ蜃気楼に覆われてしまっているかの如くぼんやりとしている。いくら顔を近づけても、僕の抵抗はむなしく終わる。ここには距離の概念がないのかもしれないな。僕は思わずため息を漏らす。彼女が心配そうに僕の顔を覗き込む。僕は彼女の顔を見ることさえできないのに。

 彼女には声がない。彼女が僕の冗談に対して時にクスクス、時にキャッキャと笑っていることは分かるし、彼女が何を話しているのか、その内容は認識することができる。しかし僕が彼女の声を聞くことは無い。聞きたいのに、耳を澄ませても聞こえないのだ。しかしなぜ話の内容は分かるのだ。読唇術?いや、それは不可能だ。ご存知。彼女には唇だってないのだから。

 しばらくして僕たちは外に出る。並木通りをしばらく歩く。

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 あるはずのない彼女の横顔にうっとりする。その刹那、僕は今までの人生で一回、たった一回だけ味わったことのあるあの感覚を思い出す。たった一回だけ?いつだったか。

 

 そこには故郷の温かさと懐かしさがあった。それと同時に儚さと寂しさもあった。この上ない幸福とこの下ない絶望が振り子のように行き来するような、充実感と喪失感を壺に入れてかき混ぜたような、そんな感覚に襲われた。僕はわずか数秒に圧縮された何年分もの激しい感情の起伏にじっと耐えた。グッと歯を食いしばりながら。

 ふいに、彼女は振り返って僕の顔を覗き込む。まただ。まるで僕の心を見透かしているみたいだ。

 その時、彼女は微笑んでいたが、僕はその微笑みの中に耐えがたい悲しみが含まれていることを感じずにはいられなかった。僕たちはどうやらもう会えない、という予感が僕の脊髄から脳へと伝わってくる。いや、これは予感ではない。直感でもない。悲しいかな、これは事実なのだ。

 

「ねえ、また会えるかしら。できれば、今週中にでも」言いながら、彼女はうつうつとした顔になった。口をへの字に曲げ、目に大粒の涙を浮かべながら、僕の反応を待っている。彼女も知っているのだ。

 

「うわああああああああああ」僕は耐えきれなくなったこの世界を終わらせるため、いつも僕がそうやるように全身で叫んだ。




第二話 “なんで、いま、この夢を” 『ペットショップで君に逢う』






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