かきあげブログ

就職活動を通して考えたことをただダラダラと書いています。お許しください。

2018年12月

 

さあてやってまいりましたあ!世界の料理人の頂点を決める料理人グランプリ!全世界から三ツ星の料理人たちが集っています。実況はわたくし滝川とぉ、解説は、なんとなんと!!神の料理人・モッスさんです。

 

滝川 「モッスさん。本日はよろしくお願いします。」

モッス「モッス!よろしくお願いしモッス。」

滝川 「……さて、モッスさん。今年の料理人グランプリもすごい賑わいを見せておりますが」

モッス「モッス!それもそのはず!料理人グランプリで見事優勝すれば、十年は客に困らないと言われていモッスからね。」

滝川 「(うっ、この人相変わらずめんどくさいしゃべり方するな)」

 

 

料理人登場に合わせて、2人はその料理人たちの紹介をしていく。

 

「本場のカレーならばこの人!インドカレーの巨匠 コリーシャ!!」

 

「フレンチに命を懸けるブラジル人 オブリガード・ミル・フォア!!」

 

彼らが登場するたび、会場はオーブンのような熱気と、耳をつんざく歓声に包まれる。

 

「今日は本当にそうそうたるメンツが世界中から駆けつけてくれましたよね、モッスさん。」

 

「まったくです!それにですね、今日は数年ぶりにあの男が姿をあらわすんですよ。」

 

「あの男ですね!」

 

「モッス!数年前、料理人グランプリ優勝が濃厚と言われながらも、突然パタリと姿をくらましてしまった天才料理家・コッコです!!」

 

 

彼はけたたましい拍手と歓声で迎えられた。

 

が、彼が登場した瞬間、それはぴたりとやみ、ざわつきへと変わった。

 

 

斜めの男が入ってきた。その瞬間、思わず警備員が動き出してしまうほど、以前のコッコの面影はきれいに消えてしまっていた。人によっては、「醜い」といった言い方をするかもしれない。いや、多くの人がそう言うだろう。コッコを見るために駆けつけてきた女性ファンたちには、残念、というよりもむしろ驚きの方が強かったようで、みな呆然としていた。

 

さらに斜めになっていたことを除いても、彼はふつうではなかった。

 

頭はボサボサ、服はシワシワ、靴はボロボロだった。

 

しかし、眼だけはギラギラとしていた。それは虚ろな目とは対極にあるものだった。確固たるミッションをもっている人間の目だ。誰もがそう感じた。

 

さらにその薄汚れた全身とは対照的に、彼の調理器具はうつくしく光っていた。しかし新品のように見えるというわけではない。しっかり使い込んであるのに、とても綺麗な道具たちだった。

 

料理が始まると彼は胸ポケットから何かを取り出した。調理器具を凌ぐくらい大切そうに。それは一人の女性の写真だった。

 

 

療養室ではテレビがついていた。斜めの料理人・コッコの登場は彼女に届いただろうか。彼女は口元にかすかな笑みを浮かべ目を閉じていた。彼女の頬の火傷が、それとなく何かに反応しているようでもあった。

 




第21話 神のシェフ 降臨

目次

 

ある日徹夜で料理に没頭し、翌日の昼間に厨房にもたれながらウトウトとしていた時、真司は夢を見た。その夢の中には、裕子がいた。しかし、様子がおかしい。なにがおかしいのか?そう。火傷がないのだ。

 

その裕子は屈託のないしゃべり方をした。すべての行動において、真司を驚かせた。彼は楽しみながら彼女の様子を眺めていたが、ぼんやりと思った。でもこれは俺の好きな裕子じゃないな、と。

 

いままで気づかなかったことだが、彼はその火傷を含め、裕子のことを愛していたんだ。彼女が魅力的なのは、ただ周りを驚かせるからだけではなく、苦い経験を味わって、人の苦しみを理解できるからでもあるんじゃないか。彼はそう思った。彼はいつものように、叫ぶことによって夢を強制終了した。そして起きてすぐに身支度をして家を出た。

 

 

急いで療養所に向かった。看護師さんに「あら今日は早いんですね」と声をかけられ、「無性に裕子に逢いたくなって」と答えた。

 

真司は裕子のいる部屋に入った。彼女にはやはり火傷があった。美しい裕子の顔が、その醜い火傷の存在に強いアクセントを与えていた。

 

しかし真司は、その醜い火傷をも愛することに決めていた。彼はそっと、裕子の頬に顔を近づけ、その火傷にキスをした。

 

 

するとあら不思議!火傷がみるみる消えていくではありませんか!!みたいなことは、言うまでもなく起こらなかったが。

 

 

しかしその代わりに、その瞬間、真司が料理人グランプリで作る料理が決まった。ほとんど強制的に。それは向こう側から聞こえてきた。

 

 

「アクセントを逆にすればいい」

 

これだ。

 

エビの天ぷらを作る。逃げちゃいけない。裕子、待っててくれ。

 

 

料理人グランプリの前日、彼は療養所に電話を入れた。もちろん裕子は出られない。裕子の部屋のテレビをつけておいてください、と施設の人に頼みたかったのだ。

 

いつもの看護師さんが出て、少し会話を交わした。そして要件を伝えて彼は電話を切った。

 

この時、料理人グランプリ優勝への誓いが、よりいっそう強くなった。なぜなら裕子は……。

 

彼は深いため息をついた。そして天を仰ぎ、裕子を思った。

 

 




第20話 料理人グランプリ、開幕!

目次



療養所から電話がかかってきて、真司はすぐにかけつけた。しかし、裕子の意識はすでになかった。

 

 

「今日、裕子さんのお姉さんが亡くなられて、それが相当こたえたのだと思います。」

看護師さんは涙ながらにそう言った。

 

 

真司は裕子に語りかけた。絶対治るからな。あきらめないでくれ。真司は来る日も来る日も、何度も何度も裕子にそう語りかけた。無論、返事はただの一回もない。

 

 

裕子のために何か出来ることはないか、彼は毎日それを考えた。今まではいくらでも思いつけたのに……。彼女の病状が悪化してからというもの、毎日森を抜けてきてこうして彼女に語りかけること以外には、なかなか思いつけなくなっていた。

 

真司は面白かった話、腹が立った話、裕子が退院したらやりたいと思ってることなどを喋りまくった。これまで裕子にはあらゆることを話したと思っていたのに、こうして意識を失った裕子に語りかけていると、まだ話していない大切なことが沢山あることに思い当たり、ちょっぴり悲しかった。

 

 

そんなある日のこと、深い深い森の中を歩いているとき、真司は自分の影を見た。そこには、かつて裕子が言っていた「斜めのコッコ」がいた。その体はきれいな曲線を描いて傾いていた。

 

真司は裕子の言葉を思い出した。

 

「料理人コッコ、斜めになって復活!料理人グランプリ優勝!わたしこんな記事を見てみたいわ。」

 

これだ、とコッコは思った。もし裕子が目覚めたら、開口一番、このことを裕子に話してあげるんだ。新聞記事を見せたら、彼女どんな顔をするだろう。すごいサプライズじゃないか、これは。」

 

彼のなかでこれほど熱い情熱の炎がともったのは、はたしていつぶりなのか、わからなかった。真司が斜めのコックになることを宣言すると、裕子は少し笑顔になった。少なくとも彼にはそう見えた。

 

 

その日彼は、以前どうしても捨てられなかった調理道具たちを、倉庫から引っ張り出した。そして沸騰し続ける血に身を任せるようにして、厨房に向かった。

 

しかし、なかなかうまくいかない。1年間ケガをしていたスポーツ選手のように、コッコは料理するときにやりにくさを感じた。毎日つづけることの大切さを痛感する。しかしやるしかない。

 

 

裕子の病気はもう回復しないのではないか。そんな不安を、料理をしている時だけは忘れることができた。自分は裕子が回復した時のために、彼女を喜ばせる「何か」をしている。そう思うと、コッコは救われた気分になるのだった。人は、途轍もない不安や恐怖があったとしても、意味ある何かに没頭できるのならなんとか生きていけるのかもしれない。

 

コッコは毎日、裕子がいる森の奥の療養所に行った。そして今日あった出来事や、料理のレシピを話しまくった。不思議なことに、毎日森の傾いた道を通っていると、彼の体は自然に斜めになっていった。この姿勢は体にあまりよくないかもしれないが、ずっと寝ている裕子よりは恐らくましだろう。彼女が回復したら、一緒に「リハビリ」をすればいい。そう考えるとコッコはむしろ楽しい気持ちになれた。

 

斜めの男になることはできた。あとは料理の腕を上げるだけだ。

 

狂ったように料理をした。裕子のところへ行くとき以外、頭の中には料理のことしかなかった。料理人グランプリは一か月後に迫っていた。

 

 



第19話 アクセントを逆にすればいい

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真司は裕子が入院してから、毎日のように彼女の見舞いに行った。彼女が入っている療養所は森の奥にあって、そこへ行くのは容易ではなかった。特に、あともう少しで到着する、というところで道は横に傾く。そうなると慎重な足取りで進まなければならない。

 

ある日、療養所に着くと、手前の窓に裕子の顔があった。ベッドに腰掛けながら、こちらを眺めている。彼女は真司と目が合うと、優しく微笑んだ。かと思ったら、ちょっと不愉快なことに、とつぜんゲラゲラと爆笑し始めた。何について?療養所に入ってから問い詰めてやる。彼は顔を緩めた。

 

 

「裕子!せっかくお見舞いに来たってのに、なんで笑うんだよ!」

真司は冗談っぽく憤怒してみせた。

「いや、ごめんなさいね」

そう言いながら、裕子はまた爆笑している。

何がそんなにおかしいんだよ?真司はさすがにちょっとムッとして、強めの口調で聞いた。

 

「いやね、あなたが斜めになって歩いてくると、ほんとに『コッコ』って感じするなあって」

「?」

 

真司がきょとんとしていると、裕子は窓の外を指さした。

「ここに来るまでの道、斜めになっていたでしょう?そこを通ってくるときのあなた、体がじゃっかん、横に傾いてるのよね。そうするとね……あなた、ニワトリみたいにかわいく見えるのよ。それを見ていたら、わたし、ちょっと変な情景が思い浮かんじゃって」

「変な情景?」

「ええ。そこではあなたが、さっきみたいに上半身を傾かせながら調理をするの」

「こんな風にか?」

真司は大げさに上半身を傾けた。

 

「そう!まさにそんな感じに」

裕子は勢いよくこちらを指さし、満足そうだった。

「そしたらちょっと話題になりそうじゃない?」

「まあ、話題にはなるかもな」

「料理中は周りの失笑を買うだろうけど、あなたの料理で黙らせるの。」

 

 

「料理人コッコ、斜めになって復活!料理人グランプリ優勝!ああ!私、そんな記事が見たいなあ♪」

真司は顔をしかめた。

「だから料理は……」

「私、またあなたが作った料理を食べたいの。もしあなたが、心から料理を嫌いになってしまったとしたなら、私なんにも言わないわ。でもね、あなた、いまでも料理大好きでしょ?」

「それは……」

自問してみた。答えは出ない。裕子が続ける。

 

 

「料理をやめてからのあなた、明らかに変わったもの。一緒に街を歩いていたって、調理器具屋さんの近くを通ると、必ず反応するのよね。寂しそうな顔でそちらを眺めるの。私が気付いていないと思った?気付くわよ。毎回歩くスピードが落ちるし。」

 

 

それは、真司自身が裕子に言われるまで気づいていないことだった。顕在していない意識によるものだった。しかし彼の潜在意識は、料理を強く欲していたようだった。それは、料理こそが「世界の中での自分の役割」だと知っていたのだ。潜在意識は、自分では気づかなくても、ときに他人には見えているのかもしれない。「行動」という媒体を通じて。

 

 

「確かに、そうかもしれない」と真司は言った。

 

「最近、何を食べても楽しくないんだ。おいしいんだが、楽しくない。今までは、料理を食べると、その料理を作った人の工夫なんかが垣間見えた。自分の食べるすべての料理が、自分が調理するときのヒントをくれた。それは……ほんとうに、僕の人生に張りを与えてくれた……」

 

裕子はじっと黙って、真司の話に耳を傾けていた。

 

「でも、料理人をやめてからは、ただ食べるだけになってしまった。いや、純粋に食事を楽しむのは決して悪いことじゃない。ただ、最近は料理人の工夫に気付くのが怖くなってしまったんだ。いくら気が付いても、もう自分の料理に活かすことはできない……。この考えが浮かぶ時が、ものすごく苦しいんだ……。すまない。せっかくお見舞いに来たのにこんな話を」

 

真司が謝ると、裕子はしっとりと涙を流していた。正直に話してくれてありがとう、と彼女は言った。

 

 

そのとき真司はふいに「また料理をしたい」と思った。それは彼がかなり久しぶりに感じたことだった。

 

 

次の日、お見舞いの際に真司はガーベラの種を持って行った。花屋で聞いたら、「お見舞いにはガーベラの花がいい。縁起がいいから。」と言われたためだ。

花の色ごとにさまざまな花言葉があるのだが、ガーベラ全般としては「常に前進」が花言葉らしい。真司はそれが気に入った。そして種を買うことにした。この種が花をつけるのが先か、裕子が退院するのが先か、それとも僕が料理人として復帰するのが先か。そんなことを裕子に言ったら、勝負好きの裕子にはいい影響を与えられるんじゃないか。そう思った。

 

病院に着くと、裕子が歩いてもいいということだったので、彼女と一緒に森のいちばん深いところにガーベラの種を植えに行った。彼女はガーベラのことをとても喜んでくれた。そして、「その勝負、ずるくない?真司のが一番かんたんじゃない?復帰なんて、今日だってできるんだもの」と言った。

 

 

しかし、いざ厨房を目にするとなかなか料理する気分にはなれなかった。

 

裕子の病状が悪化したのは、そんな時だった。

 




第18話 灯った炎

目次

 

真司さんが作ってくれた料理を、僕と紗千さんたちがいただいている。

 

「おいちぃ!おいちぃ!」幼女が大はしゃぎしている。「おいしいわ」と紗千さんが顔をほころばせる。僕も全面的に賛同する。

 

なんだこの味は!食感は!彼の作ったエビの天ぷらは、強烈な刺激と、ふわりとした優しさを持っていた。ころもはそのサクサクとした食感が、口全体だけではなく体全体に拡散するくらいに刺激的で、いつものような普通の食べ方が許されない。私はいまから食事をするんだ、と心して食べなければならない――。それでいてエビの方は、その持ち味を殺さないように、引き立たせるように、工夫して調理されている。

 

「一つの料理には、ストーリーが詰まっているんだ」真司さんが、しみじみと言った。

 

「料理人は、お客様にただ『おいしい』と言ってもらえれば、それで満足だ。でも、それに加えて他の何かも与えられないか、と俺は常々かんがえていた。当たり前のことだが、一つの料理ができるまでには、ものすごく多くの人間、動植物、道具がかかわっている。だからその料理ができるまでには数々の工夫やストーリーがある。それを食べる人に感じてもらうこと、そしてその物語を楽しんでもらうこと、それが俺の使命だと思っていたんだ。」

 

 

僕は彼の言葉に胸を打たれていた。でも、違和感もあった。すべて過去形なのだ。今は料理人ではないのだろうか。

 

「あの、真司さんは、今は何をやられているですか。」僕は率直に聞いた。

「今でも料理人よねえ?」と紗千さんが確かめる。

ところが真司さんは「今は何もやっていない。」と答えた。

「とか言ってるけどね、彼、先週の料理人グランプリで準優勝したばかりなのよ。」

「エッ!」

 

 

料理人グランプリ!料理のことにまったく詳しくない僕でも知っている。そこで名を知られれば、それだけで一生食べていけるとかいけないとか。

「な、なんでやめてしまったんですか!?」

僕は思わず咎めるような口調で言った。

 

「目標がなくなってしまったからだ。俺にとっての唯一の目標は、料理人グランプリで俺が優勝したという記事をある人に見せること、それだけだったんだ。しかしその人はもう……」

「……、で、でも、さっき、料理によってストーリーを伝えるのが使命だって……」

「それは昔の話だ」

彼はいかな感情も含まない、機械のような声でそう言った。

 

僕は控えめにいって、絶望してしまった。どうしてこんなすばらしい料理人が、料理をやめられる?

 




第17話 裕子の言葉、真司の苦悩

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「真司さん、ちょっと休みましょうよ。」僕は声をかけた。

真司さんはその姿勢からは想像できないほど、てきぱきと歩いた。車道を2時間くらい歩いただろうか。ようやく真司さんが立ち止まった。

 

「ここからは本当に来なくていい。荷物をかしてくれ。」

真司さんは僕の胸ポケットに気前よく1万円札を入れた。僕がびっくりしていると、真司さんはおどけた様子で「もう一枚ほしいか?」と言った。

 

真司さんは唖然としてる僕から荷物を受け取ると、かわいげな標識のある場所から、登山道らしき道に入っていった。僕は横目でその標識を見た。その標識に書かれていたのは山の名前ではなかった。

 

『この先 立花精神療養施設 2km

その標識には二匹のクマが楽しそうにじゃれている絵が描かれていた。

 

 

僕は彼を見失わないように、急いで追いかけた。

 

足場も悪く、歩きにくい。しかし真司さんは足早に進んでいく。この道を歩きなれているな、と僕は思った。

 

道は徐々に徐々に、険しくなっていった。汗が噴き出るように出ているのを、ありありと感じる。大丈夫だろうか!?先ほどの看板からは、恐らくまだ1kmも歩いていないだろう。視界がだんだんぼんやりしてきた。

 

「コッコ!コッココッコ!!」

 

ついにおかしくなったのだろうか?目の前に幼女が見える。まだ5歳くらいではないだろうか。髪をおでこの上で束ねている。

 

真司さんはやれやれという風に頭をかいたが、走ってくる彼女を優しく受け止めた。「コッコおりょーりつくってよ。てになにもってる?」

幼女は真司さんが手に持っているクーラーボックスを指さす。かわいい指だ。

 

真司さんはため息をつきながら、中を見せた。

「あー、エビさんだあ。つくってよ♪つくってよ♪」

「いや、これは……」

真司さんは真剣に迷っていた。この子は療養施設に入っているんだろうか。見たところ、元気いっぱいの子なのだが。

 

しかしこの子が療養施設にいる理由は、この子の母親の姿を見た瞬間にすぐ分かった。

 

木造の、古風な療養所に着いたとき、一人の女性が、玄関の前に立っていた。

「奈菜、だめじゃない。勝手にいなくなっちゃ。」とその女性が言った。

「紗千さん、珍しいですね。あなたが外に出るなんて」と真司さんが言った。

この人だ。療養中なのは。幼女の母親が精神を病んでいる。

 

美しかった人だ。この人は。

 

奇妙なことを言うようだが、僕のその女性に対する“第一印象”はこれだった。もちろん僕は彼女に以前会ったことはない。しかし彼女の顔には美しかったころの面影が多くある。画家が一日かけて丁寧に描いたような形のいい鼻、肉眼ではとらえられない左右非対称性、顔の各パーツの配置の良さ、……。

 

しかし、彼女はもう美人ではなかった。

 

その目は一切の光を放たず、闇を放っていた。

その肌は今にもパラパラと落ちそうなほど、粉っぽく乾燥していた。

その表情は一年間誰とも話さなかった人のそれのように、柔らかさを失っていた。

 

「お久しぶりです。紗千さん。」と真司さんが言った。

「お久しぶり。真司さん。」美しい声だが、――残念なことに――声にも生気は感じられなかった。

 

「いつぶりかしらね、こんなに傾いちゃって。」紗千さんと呼ばれる女性は、マネをして体をかたむけて見せた。うん。なかなか似ている。気が付くと彼女の声にほんの少し生気が宿っていた。笑っている。この女性は、何年振りかに笑っているのだ、と直感的に思う。

 

「あなたが斜めでも、もう誰もうれしかないわよ?」その女性は嬉しそうに言った。

 

僕はまったく会話に入っていけないもどかしさを感じながらも、ちょっと離れた位置で黙って耳を澄ませていた。

 




第14話 忘れられない言葉

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