かきあげブログ

就職活動を通して考えたことをただダラダラと書いています。お許しください。

2018年12月



焦げた天ぷらがお弁当に入れられていた日の翌日から、裕子は自分から彼女自身の話をしてくれるようになった。彼女は昔から、人を驚かすのが好きだったこと、毎年誕生日にはサプライズされるよりも自分が周りを驚かそうと企んでいたこと、火傷をしてからはなるべく目立たないように生きていることなどを話してくれた。俺は彼女の話を黙って聞いた。

 

僕が自分から質問することはあまりなかった。彼女が言いたいことを言い終えるまでは、自分の意見も控えた。ここで「でも、火傷だけで済んでよかったよね。」みたいなことを言おうものなら、彼女はその思いを吐けなくなってしまう。顔の火傷は消えなくても、心の傷は消してあげなければ……。俺はアスク(質問)ではなく、ひたすらリッスン(傾聴)に徹した。

 

彼女の話はなかなか途切れなかった。今までため込んできた思いが噴出したのだ。俺は彼女の肩を優しく抱いて、彼女の口と、頬にある火傷の、激しい争いを見つめていた。残念なことに……勝者は頬だった。いくらしゃべっても火傷の痕が消えることは勿論ない。何時間かひとしきり話した後で、彼女は骨が抜き取られたみたいにぐったりと肩の力を抜き、口を閉じた。

 

それでも安心したことに、裕子は日に日に、だんだん心の平安を取り戻していった。彼女は聞き手を必要としていたのかもしれない。やがて、俺のことについても、いろいろと聞いてくれるようになった。

 

彼女は「料理を通して、お客さんに物語を伝える」という俺の信念に共感してくれた。5年後に開催される「料理人グランプリ」への気負いをスッと取り除き、代わりに情熱をくれた。俺の作る料理は、(傲慢かもしれないが)世界トップクラスになっていた。

 

それでも裕子は、どうやって火傷をしたのかについては語らなかった。決して語らなかった。もちろん俺に気を使ってのことだったなんて、この時は知る由もない。

 

 

やがて俺と裕子は付き合い始めた。この頃のことは決して忘れることができない。後に何度も夢に出てきたくらいだった。彼女は俺の前では、彼女でいられるみたいだった。俺も彼女の前では、本当に素直になることができた。俺は今までに4人の女性とお付き合いをさせてもらったことがあったけど、「もっと一緒にいたい。もっと彼女のことを知りたい。」そう本気で思わせてくれる女性は、裕子が初めてだった。そしてこのような女性はもう二度と現れないだろう、という予感もあった。

 

 

 

付き合い始めて、いったいどれだけの月日が流れた頃だっただろうか。デート中に俺が車を運転しているとき、彼女がナビを操作しながら顔をこちらに向け、「目的地は?」と聞いてきた。僕は反射的にこう答え、彼女も(おそらく)反射的にこう言った。

 

『俺の目的地はあなただ。俺はいつだって、裕子のもとに行きたいんだ。』

 

『それなら私は灯台になる。そしてあなたをいつも正しい場所へ導く。だからあなたはどんな時も、一直線に私を目指してきて。』

 

俺の突飛な発言も、裕子の即答も、もはや俺たちを驚かせることはなかった。なぜならお互いに、既に分かっていたことだったからだ。

 

 

裕子とは本当にいろんなところへ行った。遊園地に行ったし、博物館へ言った。北海道に行ったし、沖縄へも行った。とある大学にある、進入禁止の地下通路に入ったこともある。彼女はたまにナーバスになりすぎるけど、そんなことはどうでもよかったんだ。ホントに、どうでもよっかた。俺の望みはただこれだけ。どんな場所だって、裕子と一緒に行きたい。

 


真司を知れば知るほど、私は彼に惹かれていってしまった。彼は調理道具を大切にするし、人を大切にする。真摯に料理に向き合うし、それと同じくらい、私の問題にもしっかり向き合ってくれる。彼はたまに気障になりすぎるけれど、そんなことはどうでもいいのよ。本当に。私の望みはこれだけ。どんな時だって、真司と一緒に生きたい。

 


ある日俺は、「君のご両親に会わせてほしい。」とお願いした。彼女は何故かキッパリと断ってきた。それでも俺は折れずに、何度も何度もお願いした。単細胞なやり方かもしれないが、これが最も有効な方法だと、俺は信じていた。

「わk……わよ。」

「は?」

「わかったわよ。来週の日曜はどう?」

ついに彼女が折れた。俺は心の中でガッツポーズをした……つもりだったけど、全身でガッツポーズしていた。声も出ていた。おっしゃーー!!!


彼女は呆れたように、でもちょっと嬉しそうに、僕の方を見ていた。



第9話 呼ばれてないけど、久しぶりに「僕」登場

目次

 

 

~真司~

 

俺はその日、BAR『灯台下暗し』でカクテルを飲んでいた。知人に紹介され、店名に興味をもったので、行ってみたんだ。そのBARは店名の純粋な意味の通りに、灯台下にあって、暗い、ヘンテコなBARだったのだが、店主の選曲が好きで俺は結構気に入った。俺はちびちびとカクテルを飲みながら、それの製造過程をなんとなく想像して楽しんでいた(いつもの癖だ)。

すると、やがて俺の隣に一人の女性がやってきた。その女性は慣れた様子で「モスコー・ミュール」を注文し、マスターと簡単な会話を交わした。

しばらくして注文したモスコー・ミュールが来ると、彼女はグラスに顔を近づけ、その香りを楽しんでいた。その時、淡い光を放っていたカウンター上のキャンドルが、彼女の右の頬を照らした。

それまで暗くて気づかなかったが、彼女の右ほおには大きな火傷の痕があった。

 

でも俺は、その火傷はさほど気にならず、彼女が放つ電磁波みたいなものに強烈に惹かれていた。気になった女性には何となく声をかけてしまう質なので、俺は彼女にも自然に声をかけていた。

 

「なんとなく気になって声をかけてしまいました。」と俺は言った。正直に話しかけた。

「どうも。こんばんは。」彼女の反応はいまいちだった。

 

俺は人の顔を見て、その人の人柄をある程度推測することができる。でも、彼女の雰囲気は、最初に予想したものとはずいぶん違っていた。

「あなたはもうちょっと……なんというか……派手なチャレンジャーって感じの方かと思いました。」

しばらく世間話をした後で、俺は冗談っぽい口調で言ってみた。

すると、能天気そうなマスターが口を開いた。

「オー。勘違いしちゃいけないぜ。ニイちゃん。彼女は生まれた時からサプライザーさー。」 

「生まれた時は、ね。」彼女はそう言うと、驚いたことに、突然ワッと泣き出してしまった。

「オー!シィー・バースツ・イントゥー・ティアーズ(突然泣き出した)!」とマスターが能天気に言った。

 

しばらくして、彼女がようやく落ち着きを取り戻すと、俺は彼女に名刺を渡して、「この店を出よう。」と言った。俺の名刺は自分でいうのもなんだけど、女性受けがいい。彼女は思っていたタイプの人ではなかったが、俺はやはりどこか彼女にひかれていたし、彼女もなんとなく俺を好いてくれているような気がした。

 

でも彼女は、俺の名刺をみるや否や、がたがた震えだし、逃げるように外へ出て行ってしまった。名刺にはこう書かれていた。

 

 

『料理人・コッコ あなたの料理を楽しくします!!』

 

 

俺は二人分の代金を払い、肩を落としながら家に帰った。

 

 

しかし俺らはその後も偶然会った。何度も、何度も。そして俺は会うたびに声をかけた。最初のうち、彼女は露骨に嫌がっていたので、今思えばストーカーに近かったのかもしれない。しかし当時の俺は(自分でも不思議だったのだが)料理人コッコのキャラがなぜか女性にうけて、ストーカーされることの方が多かったので、まさか自分がストーカーまがいのことをしているという発想には至らなかったんだ。

 

辛抱強く声をかけ続けていると、少しずつではあるものの、彼女は俺と会話してくれるようになった。

 

名前は何というのか?里川裕子?いい名前だ。俺は沢野真司っていうんだ。聞いてないか。ごめん。コッコっていう名前は、実は俺が自分で決めたわけじゃないんだ。俺の髪、ちょっとモヒカンみたいじゃないか?地毛なんだけど。それで、ファンの方がニワトリだのベッカムだのいろいろと愛称をつけ始めて、それが最終的にコッコに落ち着いたってわけなんだ。ひどい話だろ?

 

なぜ俺は、これほどにも必死に彼女に声をかけているのか 自分でもわからなかった。会う回数が重なるたびに、彼女はだんだん話に耳を傾けてくれるようになった。時には笑ってくれるようになった。そして稀に――これが一番うれしかったんだけれど――彼女は生来のサプライザーの片鱗を見せてくれた。彼女はなんと!俺のためにお弁当を作ってくれたのだ。そしてさらに驚くことに……そのお弁当の中には、黒焦げになったエビの天ぷらが、沢山入っていたんだ。これにはやられたなあ。

 

それでも俺は、それを全部残さずに食べた。なぜって?それが単純に、「俺に対する嫌がらせ」っていう気が、どうにもしなかったから。もちろんこれは故意にやったことだと思う。もし俺が彼女の立場だったら、黒焦げになったしまった食品をお弁当に入れたりしない。

 

けれど、それは何か特別な意味があってのことなんじゃないか?という気がしたんだ。俺はしばらくその意味を考えたが何も思いつかなかった。そしてスマートフォンを開き、黒焦げの天ぷらに何か意味がないか調べてみた。

 

『天ぷら 黒焦げ 意味』

焦がさないコツについて書かれたものばかりだった。

 

『お弁当 焦げ』

これでも結果はほとんど変わらなかった。

 

それでも俺は自分の勘を信じた。焦げた天ぷらは悪くない味だった。

 

そして後でわかったことだけれど、俺の勘は当たっていた。彼女は、彼女自身の中で俺を許すために、こんなことをしたんだ。

 

 


第8話 『僕の目的地はあなただ』

目次


 

「今日、一緒に帰らない?」翌日、僕は思い切って言った。その女の子は僕が急に声をかけたことに驚いているみたいだった。

 

「あの、英語の授業で一緒の……」と僕が言うと、

「うん、知ってるよ。」と彼女が言った。

 

僕たちは一緒に歩いた。

英語の先生の話で盛り上がった。小太りで、一分に一回、FUCK!と叫ぶ、アメリカ人の先生だ。なんとなくいい雰囲気になって、話が一段落したところで、彼女はこう言った。

「ねえ。どこまで一緒かな。」

「どこまで?」

「そう。つまり、目的地のこと。家どっちなの?私、ちょっと途中で買い物したいんだけど」

 

目的地。そう。彼女はこんな言葉を使った。そこで僕は裕子さんの言葉を思い出した。

 

不覚にも、思い出してしまった。

 

 

「僕の目的地は、あなただよ。僕は君がいるところへ行きたいんだ。」

僕はなぜかどや顔で言った。

 

 

「え゛っ?」と彼女がすっとんきょうな声を上げる。僕の中でその声は、声史上最低の声だった。彼女も自分自身の声に驚いているみたいだった。

 

次の瞬間、彼女は「ちょっとごめん」といって踵を返し、逃げるように速足でどこかへ消えた。僕は追いかけようと思ったが、やめた。まだ友達とすらいえない僕がここで追いかけたら、ストーカーになってしまう。

     

     ☆

 

いま僕は、友達どころか知り合いですらない人の後をつけている。ストーカーだ。

 

 

「いいえ、僕の目的地はあなたです。」

 

僕がそう言ってしまうと、真司さんはしばらく絶句していた。僕は必死にこの場を取り繕う方法を考えていたが、どうやら彼は、僕のことを気持ち悪がっているわけではなさそうだった。ただただ驚いた様子で、目を見開いていた。

 

「それなら……君、もうしばらく俺についてきてくれるか。」

今度は僕が絶句した。あんな危ない発言をした男に、ついてきてと言うなんて。

 

 

しかしそれからも真司さんが僕に対してフレンドリーになるということはなく、僕たちは黙って国道沿いを歩いた。30分ほど歩くと、ホームセンターが見えてきた。彼はそこに入った。店内に入ると、彼は迷わずキャンプコーナーにいった。キャンプする人のようにはとても見えなかったが、僕は静かに彼の買い物が終わるのを待った。

 

キャンプセットは僕が持たされた。彼が僕についてこいと言った理由がわかった気がした。彼の両手が先ほどの買い物でふさがっていたからだ。

 

ここから長いぞ。と彼は言った。



第7話 二人の出会い

 

目次



店を出ると、通りを歩く人は先ほどよりも増えていた。しかし僕が真司さんを発見するのに、たいした苦労は要しなかった。

 

目立っていたからだ。ストレートパーマの髪に一本だけ残ってしまったくせ毛のように、彼の後ろ姿は異質な雰囲気を放ってそこにあった。左手にクーラーバッグを提げ、右に傾いていた。しかし、どうだろう。彼がもし傾いていなかったとしても、僕は彼に気が付いたんじゃないかと思う。

 

なぜって?それは僕にもわからない。雰囲気?

 

そもそも僕は、彼の雰囲気に惹かれてついてきたのか?いや、そんなありきたりな言葉は使いたくない。僕は雰囲気が好きな中年の男性に、ふらりとついていくような奴ではないからだ。

 

僕らはなおも歩き続けた。隣町に出て国道沿いを歩いているとき、真司さんは初めて僕に声をかけた。

「なあ、君の目的地は、どうやら私の目的地と同じみたいだな。」と真司さんは言った。

そのとき、気が付いたら僕はこんなことを口にしてしまっていた。

 

「いいえ。僕の目的地はあなたです。」

言ってから、後悔した。苦い記憶がよみがえる。

 

 

 

「好きな人、いるでしょ?」あるとき裕子さんは僕に聞いた。裕子さんはすごく鋭い。彼女がこの質問をするとき、答えはイエスしかありえなかった。

 

「なんでわかるんですか?」と僕は聞いた。

「においよ。」

「におい?」

「そう。恋をしている人間と、そうでない人間は、明らかにその体が発するにおいが違うの。」

「えっ。そういうもんですか?」

「ええ。私にはわかるわ。」

「裕子さんも今、恋をしているんですか?」

 

僕がそう聞くと、彼女はまさか、と言って顔を赤くした。いま私が質問しているのよ、と彼女は言った。

 

「一人気になっている子がいます。」と僕が言った。

「そう。」彼女は僕が続きを話すのをじっと待っていたが、僕が続きをなかなか言えずにいるのを見て、尋ねた。

「気持ちを伝えるの?」

「はい。でも、なんて言ったらいいのかわからなくて……」

「……それならこんなのはどうかしら。」

 

『僕の目的地はあなただ。』

 

彼女は声色を変えてそういい、そして頬を紅く染めた。僕は彼女が無類のロマンチック映画好きだということを思い出した。

 

「えー。そんなこと言ったら、引かれちゃいますよ。映画のセリフならともかく。」

「そうかしら。」彼女はちょっとムスッとしたけど、そのあとも存分に相談に乗ってくれた。

 

ひとしきり話し終えた後で、僕は裕子さんに聞いてみた。どうしてそんなに人に親切なんですか、と。僕は彼女が二度と会わないような見知らぬ相手にも優しいことを知っていた。前々からなんとなく疑問に思っていたのだ。

 

実はね、それは自分のためでもあるのよ。裕子さんはおどけて言った。

 

私思うんだけれど、人が本当に幸せを感じることが出来るのは、唯一、利他的なことをしているときだけなんじゃないかしら。

 

唯一ですか、と僕は尋ねた。

 

そう。確かに、一人で読書をしたり、パズルゲームをしたりしているときも楽しいわよ。でも、それを一日中しているだけでは、満ち足りた気分になることはできない。

 

人の話を真剣に聞く、社会のために一生懸命仕事をする、困っている人を助ける、恋人を喜ばせるためにプレゼントをする。そういうことの積み重ねが、人に真の幸福をもたらすと、私は思うのよ。

 

僕が感心していると

「あっ」と、裕子さんが声を上げた。

 

でも、私の場合は「人を驚かす」ことも欠かせないわね。

 

 

……

 

      ☆

 

裕子さんに相談した後、僕はいくらか積極的になることができた。近くに裕子さんがいて、応援してくれているような気がしたからだ。




第6話 僕、実はストーカーだったみたいです

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僕たちはそのあとも淡々と歩いた。彼は魚屋に入った。魚屋の大将は先ほどのスーパーのおばちゃんとは全く異なるタイプだった。縦長の顔をした、髭がよく似合うオヤジさんだった。

 

「んだよ。暗い顔してさ。相変わらず傾いてんぞ。」

 

そう言うと魚屋さんは真司さんの頭を、傾いている側から持ち上げるように小突いた。するとそこに面白い光景があった。

 

 

傾いた城は、一度きれいに直立し、そして今度は反対側に傾く。

 

 

きれいに湾曲した体は、年若い女性が、男に向かって何かをたずねる際に、おおげさに体も傾けるしぐさに似ていた。

 

「古い仲なんだよこいつたぁ」

魚屋さんは(僕の方を見なかったが恐らく)僕に向かってそういった。なんとなく、わかります。僕はそう答えた。そして今度は僕の方から話を振ってみた。真司さんについてだ。

「彼はなんで傾いているんですか。」

魚屋さんはその細い目をすこし見開いて僕の方を見た。知らねえのかよ、という言外の声が聞こえる。

 

「その前に、お前さんは誰だ。真司とどういう関係なんだ。」

う。まあ、そうくるよな。僕はうまく答えられなかった。

 

あの、親戚っていうか……そう言いかけて、やめた。一度うそをつくと、クラスター状に大量のうそをつかなくてはならなくなる。

 

「先ほど、道端で目が合っただけなんですが、なぜか……ついてきてしまったんです。」

魚屋さんは魚のような目つきで、口を少しだけ開けていた。しゃべりだす気配はないので、僕がしゃべらなくてはならない。

 

あの、なんていうか、惹かれてしまったんです。気持ち悪いですがある種の一目惚れっていうか。もちろん惚れたわけではないですよ。惹かれただけです。

 

「そうかあ。兄ちゃんみたいな若い男が、真司にねえ。」彼は僕を茶化したが、それからしばらく、真剣にじっと僕の目を見た。僕がどこかの詐欺師ではないか、確かめるように。

 

僕は、小さいころ、初めて串刺しにされたイワシと見つめ合った時のことを思い出していた。あの時もなんとなく、責められているような気がしたものだ。やがて彼はニタッと口を緩めた。どうやらクリアできたらしい。

 

僕らは簡単な世間話をした。年配の方と話をするのは苦手な方ではない。基本的に相手の若いころの話を聞くことにしている。向こうが望めば、こちらの話をする。ジェネレーションギャップをなるたけ感じさせないように。

 

10分ほど立ち話をしていたら、いつの間にか話題は「真司さんについて」に戻っていた。

 

「あいつはなあ、ある時大切なもんを失っちまったんだ。」

「大切なもの?」

「恋人だよ。そのことについては親友の俺にも口にしたがらないけどなぁ……。風のたよりで聞いたんだ。俺も実際に会ったことはない子で、あいつ、頼んでも写真すら見せやしなかったんだけど、それはまあ別嬪さんだったらしいのよ。あいつもやるよなあ。くぅぅ。」

 

魚屋さんは眼鏡をかけて、隣にあった水槽に貼ってあるラベルを確認してから、僕のほうに向きなおった。そして真剣な表情に戻った。

 

「あいつ、そんときからいきなり変になっちまってな。『俺は出会う前にも彼女を殺し、出会ってからも殺した』なんて、わけのわからないことを言い出す始末なんだ。会ってないのに、殺せるわけぇゃ、ねえよなあ。それまでは本当に楽しそうだったのがウソみたいだよ。ホント。まあ、俺がとやかく口出しできることじゃねえのはわかってっけどもよ。」

 

 

短い沈黙があった。

 

 

「それからあいつの上半身が傾きだしたんだ。それもある日突然!ってわけじゃないんだぜ。日を重ねるごとにちょっとずつ、ちょっとずつなぁ、傾いていったんだ。これは聞いた話じゃあ無え。俺が実際に見たことだ。そしてそれに比例するように表情もどんどん薄くなっちまって。よくあんな奴に惹かれたなあ。兄ちゃん!俺の顔の方がよっぽど魅力的じゃないかい?」

 

彼はまじまじと僕の顔を見た。というか、僕に顔を見せた。魚の顔だ、と僕は思った。

 

「俺ぁ悲しいよお。兄ちゃん。あいつだって前は、結構男前な奴だったんだぜ。なあ、なんであいつはあんな風になっちまったんだ。」彼は最後には僕に尋ねてきた。

 

 

そうこうしてるうちに気が付くと、真司さんがいなくなっていた。レジに1枚の置き紙があった。

 

エビを4匹もらっていく。代金はあの場所にある。悪いな。

 

それを見るとおじさんは、タイの水槽を怪力できもち持ち上げ、その下をあさった。するとヒョコッと一万円札が出てきた。

 

俺と真司は付き合いが長いからな。俺が客と話しているとき、あいつはよくこうするんだ。こう見えても俺は完全にあいつを信じてんだ。こうすれば俺も客との会話を中断しなくていいし、あいつも待ち時間を省ける。Win-Winってやつだな。

 

魚屋さんは誇らしげにそう言った。

 

でもこいつ……珍しいな。いつもなら、「代金は次の時でいいか?」って書いて帰っていくんだぜ。もう帰っているんだから、「次のときでいいか?」はおかしいだろ?ったく。

 

そういいながら魚屋さんはほほ笑んだ。僕もほほ笑んだ。

 

 



第5話 裕子さんがそばにいて、応援してくれている

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こんなことを思い出してはいたものの、どうやらその回顧はわずか数秒間のことだったらしい。振り返るとまだ斜めの男がいた。

 

何か強烈に引っかかるものがあった。僕は思わず、彼のあとをつけた。僕のほうが完全に変人だ。彼が僕に気付いたのか。それはわからない。わからないけど、彼は歩くスピードを速めた。変な姿勢の割に歩くのは結構速かった。というか、かなり。中高のころ熱心にバスケをやっていた僕でも、ついていくのがやっとだった。

 

 

しばらくすると彼は小さな個人経営のスーパーに入った。

 

「いらっしゃい!今日はいい野菜が入ってるわよお。」

店主のおばちゃんだ。聞くだけで元気が出てくるような、活力のある声だった。僕は家の近所にある大型スーパーに通っているので、このおばちゃんはお店の外からしか見たことがなかったけど、なるほど、このお店に結構お客さんがいる理由がわかる気がする。

 

「あら、真司さん。今日は珍しいお友達を連れてきたのね。」

 

まずい!僕はぎょっとした。僕の尾行があまりに近かったからか、僕は彼の連れだと思われたらしい。

 

「真司さん」

 

僕はその名前を聞いて、聞き覚えがないことにがっかりした。この人に何か感じるモノがあったから、ついてきたのに。真司さんは僕の方を、小じわに囲まれた細い目で見たけれど、何も言わずに買い物を始めた。

 

彼が買い物をしている間、僕はとくに買い物をする気はなかったので(このお店、ちょっと高くて)、店主のおばちゃんと話をした。

 

 

彼女は僕が大学でどんなことを勉強しているのか、どんなサークルに入っているのか、などを一切の遠慮なく聞いてきた。ズケズケと、という形容が正しいのかもしれない。僕は隠しても仕方ないので、なるべくうそをつかないように、正直に話した。たいした話ではなかったけれど、彼女はとっても楽しそうに聞いてくれた。彼女の発する言葉、彼女の相槌には、常に♪が含まれていた。

 

今度は僕が、このお店について聞いてみると、おばちゃんは、この辺りが昔は商店街として栄えていたこと、他店と切磋琢磨するのがとても楽しかったことなどを楽しそうに話してくれた。僕は最近授業で習った、「シャッター街」という言葉を思い出した。そして、「それでもこのお店は残り続けて、ホントすごいですよ。」気が付いたらそんなことを口にしていた。

 

彼女はとてもうれしそうな顔をした。けれど、ふと思い出したようになんとも悲しそうな顔もした。僕は何かあるのか聞きたかった。しかし僕はこういうとき、いつも口が回らなくなってしまうのだった。

 

そうこうしているうちに「斜め男」が買い物を終えた。僕はおばちゃんに今日のおすすめは?と聞いた。彼女は国産のアボカドだ、と答えた。大型スーパーでは200円で買えるそれを、僕は躊躇せずに300円で買った。なあに、安いもんさ。このアボカドには付加価値が付いている。おばちゃんとの「おしゃべり」だ。僕は定期的にこのお店に来ることを決めた。

 

僕たちは店を出た。僕と真司さん。真司さんは勝手に後ろを歩く僕を怖がっていないみたいだ。どうして他人なのに怖がらないのだろう。不思議だった。というか僕の方は怖かった。尾行のまねごとのようなことを続けようとしている自分が。しかしやめることはできない。

 

人通りの少ない路地を歩いていた。最初にすれ違った人は、僕の前にいる傾いた男と、それに絶妙な間隔を空けてついていく僕を見て、不思議そうな顔をした。しかしその顔はやがて怪訝な顔に変わり、すぐに視線を彼が進むラインの方に戻した。なんとなく、いやだな、と思った。嫌な感じだ。

 

しかし、そのあと何人か、彼に笑顔で声をかけた人もいた。知り合いだろうか。僕は赤の他人なので、彼らが話している間だけちょっとその場を離れ、あたりをうろうろした。彼らの話はあまりよく聞き取れなかったけれど、「おめでとうございます」というような単語が聞こえてきた気がした。そして彼らが話し終えると、やはり彼の後をつけてしまった。僕は話しかけるわけでもないのに。

 




第4話 斜めの男と魚屋さんのWin-Win

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