かきあげブログ

就職活動を通して考えたことをただダラダラと書いています。お許しください。

2019年02月


鬼ごっこ。

中学の敷地内で、男女2人ずつで鬼ごっこをしている。音楽室で、ルールを決める。ルールはこうだ。

みんなが一番たいせつな本を差し出す。鬼は常に一人、最後に鬼だった人はなんと一番大切な本を失うことになる。俺の本は『カクレンジャー』もう一人の男子は石田ゆり子の『Lily 時のカケラ』。なんでも、大好きな女優さんらしい。女の子はそれぞれ、戸田和代の『きつねのでんわボックス』、村上春樹の『1Q84』。

村上春樹?小学生で村上春樹を読むのか?しかも女の子で?あのエッチな本を?俺は内心、せせり笑っていた。

じゃんけんの結果、俺は逃げる側になる。鬼は女の子だ。1Q84の女の子。大丈夫!俺は彼女よりも足が速い。不意打ちを食らわなければ理論的に絶対逃げ切れる。

 

俺は彼女が30秒を数え始めると、走って音楽室から出た。あとの2人は廊下を走って同じ方向へ行ったが、俺はすぐそばにある階段を降りた。音楽室は3階にあったが、俺が1階に降りても、女の子の透き通る声が聞こえる。俺はその声に少しうっとりしてしまっていることに気が付いた。国語の先生の音読みたいだ。良い声だな。

 

しかし、俺の『カクレンジャー』がかかっている。俺は急いで玄関に行き、靴箱で靴を履き替え、外に出た。なるべく広いところに出て、不意打ちを逃れる格好だ。

 

俺はもっとも見晴らしのいいところへ出て、そこで暇つぶしに石をけっていた。

 

すると、開始してから20分が経過したころだろうか、残り10分、と言ったところだ。彼女が向かい側から全速力で迫ってきた。どうやらまだ鬼をやっているらしかった。

 

でも、全然大丈夫!何のために退屈してまでこの場所を選んだと思ってる?俺は簡単に彼女をまいた。そして余裕があったので、曲がって彼女の視界から外れたすきに、気付かれないようにちょっと狭い通りに隠れ、彼女が通るのを横目で見ようと試みた。

俺の横を通るとき、彼女はちょっと様子が変だった。架空の誰かを追いかけるようにして、玄関でもないドアから校内に入って行ったのだ。靴を手に抱えて。

俺はちょっと「あれ?」と思ったが、気にするまいとした。ひょっとして、俺がここにいることに気が付いていて、俺が様子を見にいったとたんに出てくるのかもしれない。それでも、やはり少し気になった。

 

そうだ。確かにあの入り口から入るのは危険だが、他の入り口から入って様子をみることはできるだろう。それに、彼女が、俺がここにいることを気付いているのだとしたら、俺がずっとここにいるのも危険だろうしな。

 

俺はひょいと顔を出した。

 

そして焦った。そこにさっきの女の子が待ち伏せていたから!

 ではない。

待ち伏せていた可能性もあった、という仮説が、頭の中に浮かんだから。

 

しまった、危ない危ない。俺は心を落ち着けて、少し離れた位置にあるドアから中に入って行った。そしてゆっくり、ゆっくりと、彼女が先ほど通ったはずのドアの近くへと進んでいった。

 

 

そのドアの付近には、誰もいなかった。俺の思い過ごしだったようだ。ただ、ちょっと気になることがあった。なにか、聞こえるような気がする。俺は忍者がよくやるように、床に耳をつけてみた。すると、聞こえる、確かに聞こえる。音楽室のほうだろうか?

 

1階の、音楽室の真下につくと、俺はゾッとした。鬼の女の子の声だ。何かが読みあげられている。彼女は何かを読んでいる。誰も捕まえられないんで、ふてくされて、お気に入りの本を読み始めたんだろうか。俺はそんなことを考えていたが、やがて俺が、その場から離れられないくらい、その声に聞き入っていることに思い当たった。良い声だ。笛のように透き通る声。

 

なに大丈夫。大丈夫。彼女はいま、音楽室にいる。俺はそれを、階段4階ぶん、離れた位置で聞いている。彼女が朗読をやめたところで逃げ出せば、十分逃げ切れるはずだ。それにしてもいい声で朗読をする。

 

内容を聞く限り、主人公の女性が、タクシーの運転手と会話をしているシーンみたいだ。でも内容はうまく聞こえない。ただ、美しい声だけが、耳を穿るように聞こえてくるだけだ。

 

『見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです』

 

俺はハッとした。その声は間違いなく鬼の女の子のもので、音楽室からではなく、俺のすぐ後ろから聞こえた。




TSUTAYAで借りてきた「パパのお弁当は世界一」というお話。

映画 パパのお弁当は世界一 [DVD]
渡辺俊美
ポニーキャニオン
2018-01-17



それを観ていて、思ったこと。

娘のためにお弁当を作り続ける父にウルっとするのだが、その中でもとりわけ、感動的なものがあった。

お弁当の堤の中に挟んだ、手紙でのコミュニケーションである。

最初は娘から、「千切りが太い」など厳しいコメントが書かれるのだが、最後はお互いに「ありがとう」と書いて終わる。

そのシーンが特に感動的だったのは、それが肉筆だったからだと思う。

もし、ただ、メールでありがとう、と送るだけでは、たしかに喜びはするだろうが、感動は少ない。

「わざわざ」肉筆で書くからこそ、それは効力を発揮するのだと思う。

とっくの昔にメールが普及し、今ではSNSとなった。

そんな時代だからこそ、肉筆が生む感動は、計り知れない。

そう思って、私はすぐさま、便せんを買うことにした。



 


私はものを捨てることが出来ない質だ。どうしても捨てることが出来ない。ものには魂が宿っている気がして、どうしても捨てることが出来ないの。


昨日、新しいバッグが届いた。ずうっと前から買うと決めていた、素敵なデザインのバッグだ。届いたとき、翌日わたしがこれを持って街を歩いている情景を想像した。

うきうきする、という感覚。久しぶり。


さあ早速ものを移し替えよう、と思う。今まで使っていたリュックを手に取る。手に取って、ハッとして、そのリュックを眺める。


こんなによれよれなこのリュック、もう何年使ったのだろうか。きっと片手じゃ数えられない。よれよれで、恥ずかしいとさえ感じていたこのリュック。


なのになんで、ピタと手が止まってしまうのだろう。思えばどんなときも一緒にいた。雨の日は一緒に濡れたなあ。


私は楽しかった日のこと、つらかった日のこと、笑ってた時の事、泣いていた時のことを思い返した。

どんなときでも、背中には、このリュックが居た。
居やがった……。居てくれた。


私が大笑いしているときは、このリュックも口をがばがばに開けて笑い、中身をあちこちにこぼした。まるで食事中にご飯粒をあちこちに飛ばす子供のように。

私が泣いているときは、このバッグはじっと口を閉じ、黙っていてくれた。まるで、両親を亡くした兄弟の兄が、泣きじゃくる妹の肩を黙って引き寄せるみたいに。

どんな時もピタリと私の背中について、私を安心させてくれた。

そんなことを思い出しているうちにふと、熱いものが瞼にたまってくるのに気が付いた。リュックをみると、彼は口をガバッと開けて、ゲラゲラと笑った。新しいバッグに出会った私を、満面の笑みで送り出してくれようとしている。私にはそう見えた。



今日、わたしはすがすがしい気持ちで家を出た。よれよれのリュックをしょって。

今日は、今日だけは、このリュックで出かけたい。

家を出て、いつも通り海沿いの道を自転車で進む。海のにおい。

いつも恥ずかしかったこのリュック、今日はなぜか誇らしい。
なんなら、目立つように胸の前にかけてもいいくらいだ。

一度、壊れかけていたジッパーが外れて、中に入れていたタオルが宙に舞った。いつもならイライラして拾いに行くところだけど、今日だけは、笑ってそれを受け入れることが出来た。

最高に気分のいい一日をおえて家に帰ると、わたしはそのリュックを置き、中身を残らずすべて出した。

向かい合い、合掌をして、深く一礼をしてから、わたしはそのリュックを、そっとゴミ箱に入れた。

いままで本当にありがとう。

中身を新しいバッグに移し替えるとき、その新しいバッグが昨日よりも頼もしくみえた気がした。

そうかあ、あのリュックの気持ちを、君が受け継いでくれたんだね。



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