目次『ペットショップで君に逢う』




6月6日 ~うつつ~

 

 目が覚めた。どうやら僕はこちらの世界でも叫び声をあげていたらしい。僕はその声で目が覚めた。目覚まし時計みたいだな。と僕は思う。便利な目覚まし時計だこと。コスト0、効果保証。

 いや、と僕は気が付く。このアパートだ。身もふたもないことを言うと、防音性は極めて悪い。ここの壁は原稿用紙3枚分くらいなのではなかろうか。今の声がほかの部屋の迷惑になっていないか心配する。しかし、その心配はすぐに別の気持ちにとってかわられることになる。


「またか」先ほどの夢についてだ。


僕はあの夢を小学生の時頻繁に見た。だからあの夢に登場した僕もやっぱり小学生の時の僕だった……気がする。小学一年生の時、親の都合で引っ越してから、やたらとみる夢だった。起きた時は例外なく暗い気持ちになったのをおぼえている。しかしなぜ今になって……僕は今、大学2年生だ。

 

 僕は一度思索を中断し、スーパーマーケットで買ってきたミネラルウォーターをコップにナミナミと入れ、それを一口で飲み干した。今日は大学に行かなければならない。ちっ、いやになるな。僕は最近大学に行くのが億劫で億劫で仕方がなかった。大学で経営学を専攻していたが、最近経営というものにまったく興味がわかなくなっていたのだ。

 

 大学に着くと僕はいつものように真ん中の最前列の席に座った。そしてドストエフスキーの『罪と罰」を開いた。


罪と罰〈上〉 (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
1987-06-09




 もう何度目になるか分からないが、何度読んでも面白かった。独特のリズム感を帯びており、読むたびに新しい刺激をくれた。初めて読んだ時の衝撃は忘れられない。心理描写をこんなに複雑に、そして残酷に書くやつがいるとは。



 登場人物の「へ、へ、へ!」という気の狂ったような笑い方も好きだった。もっともこれはドストエフスキーというよりは翻訳者の工藤精一郎さんの工夫によるものかもしれないが。


「よう。何読んでる?」ヨウだった。

ドストエフスキーの『罪と罰』だ。何度読んでも面白い」

ドストエフスキーって、お前、文学部に行った方がよかったんじゃないか?」

「そうかもしれない」

「実のところ、最近経営学に興味が持てないんだ」

「そうなのか?」

「どうしても俺は経営をする側に回れる気がしないし、第一なりたいとも思えないんだ」

 ヨウはしばらく僕のはなしに共感してくれた。そして、「でも経営者にならないとしても━━たとえ会社に勤めさえしないとしても━━経営学の考え方を知っていることには大きな意味があると思うぞ」と言った。

 それからヨウは経営学がいかに役立つかを僕に伝えるために、SWOT分析やPDCAサイクルの考え方を説明した。丁寧だけど、熱く。僕は序盤はやれやれといった態度で聞いていたものの、やがて彼の熱量におされて、たしかに役にたつかもな、と言った。



 僕の返答に満足したヨウは、「なあ、今日ハンバーグでも作らないか」と誘ってきたので、「17時にお前の家に行く」とだけ返した。ヨウは右側の最前列の方へいった。

 僕たちは一緒に授業を受けない。その方がお互いにとってプラスだと考えているからだ。大人数で集まって授業を受けるなんて馬鹿げている。そんなのは群れていないと不安で仕方がない弱いやつのすることだ。


 授業中は昨日読んだビジネス書について考えを巡らせていた。

「失敗とは何だろう。人間が失敗するということは、チャレンジしているということだ。そしてチャレンジした結果としての失敗は、本質的には失敗ではない。財産だ。資産だ。それは血となり肉となって体の中に残り続け、次チャレンジするときに必ず助けになってくれる。それに、はたして成功する必要が本当にあるのだろうか。もし、失敗し続けて、し続けて、そのまま死んでいったとしても、挑み続けたのなら誇りをもって死を迎えられるのではないか。例え一回も成功しなかったとしても。挑戦し続けたと胸を張って言えるのならば、それで御の字だ」

 本で読んだことについて考えを巡らせることは、彼にとって至福だった。かくいう彼はとくにこれといったチャレンジをしていなかったにもかかわらず。



第三話 “善行は、猫にではなく、神様に見てもらいたいものだ” 『ペットショップで君に逢う』