目次『本音が音を、失うとき』



 僕は立川健吾。経済学部に所属している。自分で言うのもなんだけど、社交的で明るい性格だと思う。僕の周りにはいつも人が寄ってきたし、僕は彼らを、まるで生まれてくる赤ちゃんを受け入れる両親もかくや、という笑顔で受け入れることができた。例外はない。僕は誰に対してもそれができた。いや、正確に言えば大学2年の後期が始まるまでは例外がなかった。

 

 山辺龍。理学部1年

 

 彼が唯一の例外だ。僕らは、全学部が1年次に一定数単位取得しなくてはならない、「一般教養」の授業で知り合った。そう。あれはリハビリテーションについての授業のときだった。僕は2年だったが、1年の時この授業を落としていたため、評定の平均を上げるために再受講したのだった。             

 僕は授業が始まる20分前に教室に着いた。おそらく周りは1年だらけだ。授業は2人で受けるのが一番いい。それが僕の持論だ。一人で受けると休んだ時にノートを見せてもらうのが面倒になる。三人以上で受けるのはアホだ。行動すべてを一番遅いやつに合わせないといけないし、陰でお互いの悪口を言ったり、言われたりするのも面倒だ。僕が早めに教室に行って待っていれば、誰かが声をかけてくれるに違いない。
 
 自分から声をかけに行かないのには理由があった。たいてい最初から一人でいるやつは人間関係に消極的な奴が多いし(自分のことは棚に上げて)、かといって二人以上の奴らに話しかけるのはさっきの理由でごめんだ。となれば先に行って待っているのが一番いい。一人で受けようとしている学生に声をかけるやつは少なくとも人間関係に積極的だし、そういう人たちはたいていの場合、授業をまじめに受ける傾向が強いことを、健吾は経験的に知っていた。

 それに彼には、運命的なめぐりあわせを好むところがあった。自分から声をかけるだけではどうしても付き合う人間の種類が限定されかねない。それよりは誰かが自分に声をかけるのを楽しみに待って居ようじゃないか。そう思ったのだ。彼は大教室の長机の右端に腰を下ろした。そして頭の中でふと浮かんだ、スティービー・ワンダーの『ハッピーバースデー』を頭の中で歌った。




 
 携帯を触っていないほうが相手も声をかけやすい。それにこれは明るい歌だ。表情も明るくなる。 



第2話 “山辺龍” 『本音が音を、失うとき』