「私に天ぷらを食べさせてくれ」

モッスがそういうと、会場のざわつきがピタリと止んだ。そしてもう、誰も口を開かなかった。テニス選手がサーブを打つときのように、彼が天ぷらを食べ終わるまで長い静寂があった。

 

 

モッスはその天ぷらを口に運んだ。なんだこれは。普通の焦げた天ぷらじゃないか。彼は一口食べた時、そう思った。しかし彼は、どんな料理も残さずに食べる主義だった。たとえそれが黒焦げの料理だったとしても。

 

彼は二口目を食べた。ん?三口目。ほう。

 

彼は気が付いた。その中に含まれているストーリーに。

 

 

ふつう料理を食べるとき、一口目が一番おいしいと言われている。これは経済学でいう限界効用逓減の法則というものだ。二口目、三口目と食事を続けると、だんだん口が慣れてきてしまうので、それがもたらす効用(うれしさ)はだんだん下がっていく。これは自然法則だ。避けられない。

 

 

ところが彼の料理の場合はそれを逆手にとっている。最初に強烈な苦みがある。そして、二口目、三口目と食べていくうちに、その苦みは薄れていく。もちろんそれだけではただのまずい料理と同じことだ。

 

モッスが食べ続けていると、エビの天ぷらは奥底にある「コッコが本当に伝えたかった味」を放ち始めた。

 

 

ああ、これか、君が本当に伝えたかったのは。

 

 

「アクセントを逆にすればいい」

 

 

焦げた衣がジャンプ台となって、中のエビにより強烈なインパクトを与えている。このエビはまだ生きているんじゃないか?まるでエビが口の中で暴れているようだ。そんな風に感じてしまうほど、躍動感あふれる食感と味がモッスの口の中に広がる。そして体全体を満たしていく。まるでエビが死に際から生き返ったような……。

 

そう、「復活」!!

 

これがこの料理のテーマだな、とモッスは思った。

 

 

死にかけたに見えたエビの天ぷらは、自身がもつ圧倒的な生命力により回復した。そして驚くべきことに、「焦げ」はエビに、本来のポテンシャルを超えたパフォーマンスをさせたのだ。

 

 

なるほど、やるな。自身の復活を料理で表現するとは。彼の見た目があんな風だったのも、ふり幅を大きくするためか。

 

 

モッスは最初、そう思った。しかし、半分ほどを食べたとき、モッスの目に浮かんできた景色は、まったく別のものだった。

 

 

 

一人の女性が歩いている。その女性の頬には、象徴的ともいえるような大きな火傷がある。その火傷はしばらくのあいだ、彼女の魅力を奪い続ける。道行く人は彼女ではなく、彼女の火傷に目を奪われ、そして顔をしかめる。

 

しかし、

 

彼女はやがてそれを乗り越え、ある時からその火傷は、彼女をより魅力的な人間にする。

 

 

 

さらに、モッスが最後の一口を食べた時、こんな光景(展望のようなもの)が浮かんだ。

 

 

その女性はある時から、ひどい精神疾患に苦しむようになる。ひどく苦しみ続ける。それにもかかわらず、彼女は誰かを励ます。誰かの背中を押す。誰かを励ますことは彼女自身を励ますことにもなる。そしてついに、彼女は自身の圧倒的な生命力によって、奇跡的な回復を遂げる。

 

辛い闘病の経験は、彼女をよりタフにするだろう……。

 

モッスにはこんな復活のストーリーが見えたのだった。

 

 

焦げた天ぷらが、なぜこんな物語を見せるのかまではわからなかったが、モッスは彼の料理に、彼の成長に、感動していた。

 

彼は恍惚の表情を浮かべながら、その天ぷらを平らげた。観客の誰もが、それがどんなにうまいんだろう、とよだれを垂らしてしまうくらい、彼は良い食べっぷりをした。そして天を仰ぎ、(知るはずのない)裕子を思った。

 

モッスがこんなに勢いよく食べたので、今度は審査員も、それが食べたくて食べたくてたまらなくなった。そして観客までもが。

 

 

「いいですよ。作りましょう」

コッコがこの日一番のさわやかな顔で言った。やり切った、そう思った彼の目には、もはや異様なギラつきは無く、かつての優しい光が灯っていた。

 

 

過去にこんなことがあっただろうか。料理人グランプリの会場は異様な熱気に包まれていた。コッコが大量に作った天ぷらを(今度は焦げていないものだった)、会場全体の人々が一緒になって食べている。

 

ある者は笑顔になり、またある者は感動でむせび泣いている。

さらには他の料理人たちも、彼の料理を食べて唸っていた。



こうして10年に一度の料理人グランプリは幕を閉じた。

 


第23話 やっぱりね

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