僕は裕子さんの病気の状態の重さに強いショックを受けた。裕子さんの病気がこんなにひどいなんて!!


 


落ち込んでいると、真司さんは僕に優しく話しかけてくれた。僕は、彼女が今までどんなに僕を助けてくれたかについて話し、真司さんは彼女がどれほど彼を驚かせ、彼の人生を豊かにしたのかを語った。


 


真司さんはこれまでの不愛想な態度が吹き飛んでしまうほどに、笑顔で話した。重体の裕子さんを前にしているのにもかかわらず、僕が深い安心に包まれてしまうくらい。


 


しかし真司さんは、話の最後に――いや、この発言によって会話が終わってしまったわけだが――「悪いが今日は先に帰ってくれ。やり残したことがある。」微笑みつつも真剣な表情で、そう言った。暗い暗い顔は、表情の奥に忍ばせて。


  


僕としては裕子さんから離れたくなかったが、彼があまりに真剣な顔でそう言うので、裕子さんの手を握り、「また来ます」と言った。そして彼らに挨拶をして、しぶしぶ一人で帰路に就いた。


 


ところが建物を出て数分歩いたか、というところで僕は上着を病室に忘れてきてしまったのに気が付いた。やれやれ、僕は踵を返す。



 


病室に戻ると、紗千さんと看護師さんが、裕子さんのベッドをはさんで何やら会話をしていた。上着はかなり目立つ位置に置いてあった。僕はそれを取って紗千さんたちに再び挨拶をし、いざ帰ろうとしたとき、ふと疑問に思ったことがあった。真司さんが見当たらないのだ。


 


紗千さんに聞いてみると、「彼ならちょっと散歩してくるって言ってたわよ。」と、彼女はそう言った。


 


僕にはなにか引っかかるものがあった。散歩?今日はもう嫌というほど歩いたのに?それになぜ僕とすれ違わなかった?


 


彼はたしかこう言っていた。


 

やり残したことがある。

 


やり残したこと?


 


彼は料理を捨てた。恋人の裕子さんは、目を覚まさない。


 

やり残したことは裕子さんに何かを語りかけるようなことだと思っていたが、彼は突然、散歩にでかけた。僕に気付かれないように。


 


なんとなく嫌な予感がして、僕は慌てて病室を駆け出す。いや、駆け出そうとした。その時、病室の中のあるものが目に留まって、僕は思わず急停止した。


 


 



~森の最奥地~






 この場所はかつて、かつて真司と裕子が一緒に来た場所だ。彼らは様々な思いを込めて、ガーベラの種を植えた。花が咲くころにはきっと全てが好転しているはずだろう……。




真司が最後にここに来たのは料理人グランプリの数日前で、そのころはまだ蕾の状態だった。しかし今、真司がそこに着くと、皮肉なことに白いガーベラが花を開いてそこにあった。




白いガーベラ、花言葉「希望」




今の俺とは正反対の言葉だ、と真司は思った。






今から真司が作るのは、裕子が彼に作ってくれたような焦げた天ぷらではない。裕子が18歳の誕生日に作った「料理」だ。俺はここで、この美しいガーベラと共に散る。




真司はキャンプセットを取り出した。




これでこの世界ともお別れか……。




そう思うと、この世界がこれまでで一番うつくしく、愛おしく感じてくるのだった。空は清く澄み渡り、木々は気持ちよさそうに揺れる。小鳥のせせらぎと川の音が、絶妙なシンフォニーを奏でて彼の耳を優しくなでる。もはや何もかもが幻想的に見えてくる。行かないで、と世界が言っているみたいだ。




 


 


それでも彼は、既にあちらの世界へ行くことを決心してしまっていた。裕子がもうすぐ行くであろう世界へ。もしかしたら彼女はもう行っているかもしれない。


 

 


彼は先ほどの料理で水を使い切ってしまったことに気が付き、川に汲みにいく。


 


そして料理を始めた。


 


鍋に油を入れる。


 


ジューパチパチ


 


この音を聞くのも、これが最後だ。彼は鍋の油に映った自身の顔を、ぼーっと眺めた。


 


目標を失った人間の、虚ろな一対の目がそこにあった。いつもほとんど気を留めることがない自分の顔を、その時だけはじいっと見つめた。そして無意識に「いままでありがとう」と呟いた。


 


おや?


 


真司はハッとした。鍋に映る自分の背後に、確かな光を放つ灯台が見えたのだ。灯台?まさかこんな森の奥に。もちろん真司は目の錯覚だと思ったが、何を思ったのか、こんなことを口にした。


 


『俺の目的地はあなただ』


 


するとその灯台は、言葉を返してきた。




第25話 火傷は黄金に輝き

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